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連載・特集

広島世界平和ミッション 第三陣の横顔 <1> 細川浩史さん(76)=広島市中区羽衣町

被爆体験 「心」で語る

 広島国際文化財団が主催する広島世界平和ミッションの第三陣が七月四―二十九日、フランス、英国、スペイン三カ国を巡る。「核抑止論」が根強い核保有国などへの出発を前に、参加メンバー五人の横顔と決意を紹介する。

 人前でしかも海外で、被爆体験とその持つ意味を体系的に話すのは初めて。実は少し不安だとやんわり打ち明ける。「相手は手ごわい。私に務まるだろうか」

 例えば、最初に訪問する予定のフランス。昨年三月、イラクへの攻撃にはやる米英両国に断固として反対の姿勢を貫いた。「平和を願うヒロシマと志を同じくしている」と思ったのに、核政策を調べてみると「核翼賛」ともいうべき「まったく別の哲学を持っている」と知った。

 十七歳で被爆した。爆心地から約一・四キロの広島逓信局(現中国郵政局)内で勤務中、爆風で吹き飛ばされ、全身を強く打った。ガラスの破片で出血もした。一命は取り留めたが、爆心地付近で建物疎開作業をしていた最愛の妹を失った。

 「広島・長崎への原爆投下という歴史的事実は、欧州でもそれなりに理解されていると思う。でも原爆で人の心がどんなに傷ついたか、生き残った者の悲嘆やトラウマは知られていない。だから今も核兵器に頼ろうとするのではないか」。廃絶どころか使用と隣り合わせが続く世界の現状を憂い、淡々とした口調にいらだちがにじむ。

 第一県女(現皆実高)一年生だった妹は、原爆投下前日、日記にこうつづる。「明日からは家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う」

 「きのこ雲の下には、直前までけなげに生きた妹や級友たちがいた」。つらい体験は半世紀、胸にしまい込んだ。しかし、妹の日記がメディアで取り上げられたのがきっかけで、十年ほど前から修学旅行生らに徐々に話すようになった。五年前からは、かつては近づくことも避けていた原爆資料館で案内ボランティアを務める。

 「被爆者は間もなくいなくなる。ありふれた言い方だけど、三発目の使用はあってはならない。そのためには、体験した者にしか分からない事を少しでも伝えなくては…」。ミッション応募への動機である。

 写真が趣味。自作の名刺の裏には、元安川から原爆ドームを見上げた構図の作品を刷る。水を求めて川に飛び込み、亡くなった被爆者たちが、最後に目にした光景はこんなふうではなかったか―。欧州にも携え、「理屈」でなく「心」でヒロシマを伝えるつもりだ。

(2004年6月23日朝刊掲載)

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