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「被爆ポンプ」惜しむ声 広島駅南口再開発で撤去へ 原爆資料館 保存・活用へ情報収集

 JR広島駅南口(広島市南区)のBブロック再開発事業に伴い、「被爆ポンプ」と呼ばれる手押しポンプが撤去される。地元住民や関係者の間には「あの日の惨状を見ているはずだ」「駅前の風景の一部として活用して」との声があり、原爆資料館(中区)は保存、活用に向けた調査を進めている。(加納亜弥)

 3基のさびついたポンプは再開発エリアの歩道にある。2基は大正時代から市内で製造された広島発祥の「津田式ポンプ」。残る1基は名古屋市のメーカーが戦後、造り始めたポンプで「DRAGON」の文字がある。

 明治期から続く広島駅東の酒販店「好川商店」の3代目社長好川(こがわ)公三さん(82)は「津田式ポンプの二つは戦時中にはあったのではないか」とみる。

 米国が原爆を投下した1945年8月6日を挟んで町内会長を務めていた父義登さん(原爆症のため54年に61歳で死去)が防火対策のため、近所を回ってポンプの設置を呼び掛けた、と聞いていたからだ。周辺に住んでいた人からは「原爆投下前に防火水槽と合わせて据え付けてあった」との指摘もある。

 ただ津田式ポンプ製作所は戦後、製造を県内の別会社に譲渡。詳細な記録が残っておらず、設置時期も持ち主も分からない。復興する街で60年代まで使われたといい、好川さんは「思い出がある人もいるだろう。1基でも残してあげればいいのに…」と言葉を継ぐ。

 Bブロックの再開発組合は10月にも、電線地中化を含む歩道整備に入る。道路を管理する南区は8月27日、「工事の支障となる」として所有者に撤去を求める公告を3基に掲示。今月10日までに持ち主が名乗り出ない場合、市が処分する。再開発組合は「保存の予定はない」とする。

 被爆資料を保存、活用する原爆資料館の学芸課は「ポンプは戦後に取り換えられた可能性もある」としながらも「被爆地復興の歩みを伝える資料」と指摘。少なくとも1基を引き取る方針で、住民からの聞き取りなど情報収集を進めている。

(2013年9月5日朝刊掲載)

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