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社説・コラム

[被爆75年 世界の報道を振り返る] ラテンアメリカ 原爆・核開発に批判的

核戦争寸前の歴史共有

■吉江貴文 広島市立大准教授

 ラテンアメリカについては16カ国・地域の53紙を対象に、昨年の被爆75年報道について調査した。その結果、広島報道の論調には一定の方向性がみられることが分かった。原爆投下の正当性に対する懐疑的・否定的な見方であり、核兵器の開発・保有に対する批判的な姿勢である。

 例えば、アルゼンチンのクラリン紙は、原爆問題に通暁(つうぎょう)するアメリカン大のピーター・カズニック教授のインタビューを掲載し、米国政府が原爆投下を正当化するための言説として長年用いてきた「戦争終結・人命救済説(原爆投下が戦争終結を早めたとする説)」の欺瞞(ぎまん)性を明らかにした。メキシコのエルウニベルサル紙は「もしもメキシコ市に原爆が落とされたら」との想定で、その被害規模を同市の地図上に重ね合わせて説明し、核兵器の危険性をリアルに伝えようとしている。

 こうした論調の背景にあると考えられるのが、ラテンアメリカにおける軍事的非核化構想の歴史と、トラテロルコ条約の影響だ。

 日本ではあまり知られていないが、ラテンアメリカは世界に先駆けて域内全体の非核化を推進・実現した地域である。その原動力となったのが、1967年に締結された「ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)」だった。域内での核兵器の実験、使用、配備等の全面禁止を定めた地域協定で、現在ラテンアメリカ33カ国全てが加盟する非核兵器地帯条約となった。

 条約締結のきっかけは、62年10月に起こったキューバ・ミサイル危機だった。59年のキューバ革命を発端に米ソ間で勃発した軍事紛争であり、世界が全面核戦争に突入する一歩手前まで追い詰められたという、20世紀史に残る事件であった。核戦争に直接巻き込まれる危険性を感じるようになったラテンアメリカ諸国は、紛争終結後の63年に非核決議案を国連総会に提出。後のトラテロルコ条約締結につながった。今年1月に発効した核兵器禁止条約の締約国も目立って多い地域である。

 地域全体が核戦争の脅威にさらされた歴史を共有し、軍事的非核化構想をいち早く推進した地域において、原爆投下や核兵器問題に対する批判的な論調が支配的だったのは、ある意味、必然的帰結といえるのではないだろうか。

(2021年12月6日朝刊掲載)

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