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連載・特集

広島世界平和ミッション 中国編 歴史を見つめて <1> 激論 核の認識 大きな隔たり

 「広島世界平和ミッション」(広島国際文化財団主催)の第二陣は、中国と韓国を六月下旬から二十日間にわたり旅した。経済や大衆文化で緊密なアジアの隣国は、日本の戦争責任に厳しい姿勢を取る。被爆実態の受け止め方、核兵器保有の考えをめぐり、ヒロシマからの対話はどこまで共感を得たのか、得られなかったのか。中国の旅から報告する。(文 編集委員・西本雅実、写真 荒木肇)

 中国語では「広島世界和平使節団」。一行は広島から空路、北京に着いた翌日に中国人民平和軍縮協会を訪ねた。天安門広場から車で約二十分の距離にある。牛強秘書長(50)が出迎え、歴史認識について冒頭から熱弁を振るった。事務局長に当たる。

  熱弁1時間■

 「中国人民は被爆に同情するが、日本人民は原爆に遭ったことで自分たちを被害者とみている。日本が引き起こした戦争と結び付け、正しく認識するべきです」。一行は、いきなりの長広舌に戸惑いを隠せなかった。

 今回、中国で「原爆展」を開けないか―。第二陣は出発前、東京の大使館を通じて可能性を探った。日中関係の専門家は「日本の戦争被害の宣伝とみなされ難しい」と断じた。外交部の見解という大使館からの返事は「前例がない」。小泉純一郎首相の靖国神社参拝などをめぐり、両国首脳の相互訪問が途絶えている今の政治状況とも無縁ではなかった。

 訪中の交渉も難航する中、軍縮協会が受け入れた。設立は一九八五年。原水協系の原水禁世界大会に参加し、広島市とも相互交流を続ける。これまで「民間平和団体」と報道されてきた。

 メンバーは協会が入るビルに車が入る際、敷地正面に「中共中央対外連絡部」の看板があるのを目に留めた。軍縮協会は中国を一党支配する共産党中央と密接な関係にある国際部門といえる。第二陣が要請した訪問先や面談相手にも応じた。

 牛秘書長の熱弁は一時間近く続いた。メンバーは発言の機会がくると、ソファに沈んでいた腰を浮かせるように話した。

 十三歳で被爆し、家族六人を失った福島和男さん(72)は「原爆のむごさを理解してほしいと思ってきました」と、もどかしさを口調ににじませた。在韓被爆者の支援を続ける井下春子さん(72)は「原爆投下は、戦争の終結というより核時代の始まりを告げたんです」と声を高めた。

 公式論超え■

 国際関係論を東京大で学ぶ森上翔太さん(20)は「核兵器の脅威をどうみているのか」と尋ねた。中国内モンゴル自治区出身で広島大大学院の岳迅飛さん(32)は、第二陣メンバーとして軍縮協会側の通訳に代わり、思いをくみ取り伝えていった。

 儀礼でない発言に刺激されたのか。協会の同席者からも「平和は中日人民の共通の願い」といった公式論にとどまらない肉声が熱く返ってきた。

 「日本が過去を反省して互いに理解ができる」「中国が持つ核兵器は、民族自衛のためであり、米国とは全く違う」

 議論はすれ違った。とりわけ、原爆投下に始まる核兵器の問題をめぐる考えは大きく隔たった。

 英国で政治学を専攻したという牛秘書長は「珍しく率直な議論になった」と苦笑も浮かべ、「そろそろ夕食を」と四川料理の店へ案内した。

 「原爆展は無理なのか?」「歴史問題と切り離せない」。舌鼓をうちつつ議論は続いた。店を後にするころには出会いから六時間がたっていた。

 広島世界平和ミッションの第二陣メンバーは次の通り。

 被爆者 福島和男さん(72)=広島市佐伯区▽書家 井下春子さん(72)=同市南区▽広島大大学院文学研究科 岳迅飛さん(32)=東広島市▽東京大3年 森上翔太さん(20)=廿日市市出身▽元韓国原爆被害者協会長 郭貴勲さん(80)=韓国城南市、韓国で合流。

(2004年7月26日朝刊掲載)

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