×

連載・特集

広島世界平和ミッション 中国編 歴史を見つめて <3> 大海の一滴 本音の議論 理解へ一歩

 人民大会堂での会見は突然だった。全人代常務委の開催中にもかかわらず、応じるという。荷物チェックを受け、メンバーは見上げるような広間に入った。

 何魯麗会長は笑顔で歓迎し、席に着くなり本論に切り込んだ。「両国は長く一衣帯水にありながら、近代は不愉快な歴史を持ちます。日本の侵略戦争は中国に重大な被害をもたらしました」。一九三四年の生まれ。小児科医から北京副市長などを経て、六年前から全人代常務委副委員長の要職に就く。父は中華民国時代の最後の北京市長。

 七二年の国交正常化の扉を開けた民間交流から九八年の日中共同宣言までの意義を説き、「歴史の教訓をくみ取らなくてはならない」と続けた。江沢民氏が国家主席として同年の訪日の折にも盛んに述べた歴史認識スピーチの一節でもあった。

 メンバーは「中国人民が歴史を忘れないように、被爆の記憶を受け継いでいきたい」と広島訪問を要請して、会見は三十分余で終わった。

 北京十大建築物の一つ民族飯店に戻ると、被爆者の福島和男さん(72)=広島市佐伯区=は早速に部屋ではだしとなった。四日目の夜を数えた。

  募る違和感■

 「疲れましたわ。えらい人から学生まで反省が足らんと同じことをいう。政治なのか、教育のせいなのか…」。げんなりした表情を浮かべた。

 キリスト教徒の立場から「反靖国」活動にもかかわった、井下春子さん(72)=同市南区=は考えこんでいた。前日に訪れた抗日戦争記念館を引き合いに、「日本人の残虐性をひたすら追及する展示のような気がした。それを受け入れるのが正しい歴史認識なのか」。違和感を募らせた。

 友人との再会でくつろいでいた広島大大学院の岳迅飛さん(32)=東広島市=は「日中和解の道のりは長いですね」と母国への旅を表した。「相手のおっしゃる通り、頭から違うのどちらもダメだと思います。中国は政治も歴史も複雑。意見を堂々とぶつけ、あきらめないことです」。自らを鼓舞するように話した。

 夜の散策から戻った東京大三年の森上翔太さん(20)=廿日市市出身=は「日中の歴史を教科書レベルではなく、もっと知らないと、ヒロシマの事実も聞いてもらえない。すごく刺激されますよ」。若さを見せた。

 民間交流を■

 一行は翌日、世界遺産の故宮から天壇を見学した足で党・政府のシンクタンク、中国社会科学院日本研究所へと向かった。新聞記者時代に東京特派員の経験を持つ張進山副所長(53)らが、日本語での対話に応じた。

 「中国で原爆展は可能になるか」「日本と手を携える気持ちは」。メンバーは疲れを見せず尋ねた。「広島を訪れて初めて被爆の悲惨さが分かった。日本の人も侵略を受けた中国の現場を見て理解してほしい」と張副所長。「熱い経済、冷たい政治」の今の関係は「民間交流でほぐす」のが近道とも呼び掛けた。

 次の日は、中国教育国際交流協会で林佐平理事(50)らと懇談。広島大大学院OBの林理事は「物事を一方からではなく、立体的に見るべきです。共通の理解がなければ、小さな問題も解決は難しい」と重ねて強調した。

 ヒロシマを伝えることは、日本の近代の歩みを、相手との関係をどうみるかでもある。中国という「大海」の一滴のミッション一行は、次第にそれを実感していった。

(2004年7月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ