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20年東京五輪決定 64年の聖火最終走者 坂井さん 「人生変える経験 若者に」

 2020年夏季五輪開催都市が東京に決まった一報に、49年前の興奮がよみがえった。1964年の東京五輪で聖火最終ランナーを務めた三次市出身の坂井義則さん(68)=東京都練馬区。「五輪はみんなが一丸となって大きな目的を持つことができる。若者にあの経験をしてほしい」。若き日の自らと照らし合わせ、期待を膨らませる。

 IOC総会があった8日早朝はゲストとしてテレビ番組に出演していた。「神に祈った。決まった瞬間、涙があふれ出たよ」。これほど強く願っていたのは「五輪は人生を変える」と信じるからだ。

 学生時代は五輪を目指す陸上選手だった。広島・三次中で陸上を始め、三次高3年時に山口国体の高校男子400メートルで優勝。64年、早大に進むと400メートルの五輪強化指定選手に選ばれた。

 しかし日本代表の夢は、最終選考会で敗れ、ついえた。「目標を失い、抜け殻のようになっていた」。大会組織委員会から聖火ランナーの声が掛かったのはそんな時だった。

 大役に抜てきされたのには理由がある。誕生日は45年8月6日。原爆が投下された日に広島で生まれた19歳の青年は、戦後復興を世界に示すための象徴的な存在となりえた。

 64年10月10日、開会式を迎えた国立競技場の空には雲一つなかった。「もし私が転んだら日本の恥。一億総国民がいい五輪にするために一致団結していたのだから」。緊張感を背に聖火台までの階段を駆け上がり「ヒロシマ」を世界にアピールした。「ほかの国の方々も喜んでくれた。あのうれしさは何にもかえられない」

 聖火ランナーを務めたのを機に、メディアの仕事に興味を持ち、大学卒業後はフジテレビに入社。72年ミュンヘン大会、96年アトランタ大会など五輪報道に携わった。まさに五輪と歩んだ人生だった。

 現在は都内にある番組制作会社に勤務。仕事で出会う若者たちの元気のなさを心配する。「希望を持てない時代に再び五輪がやって来る。みんなで団結して、もう一度元気を取り戻そうよ」。7年後、競技場の隅っこで、聖火がともる瞬間を見届けたいと思っている。(五反田康彦)

(2013年9月10日朝刊掲載)

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