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広島世界平和ミッション 中国編 歴史を見つめて <8> 対話を重ね 人間として行動に移す

 メンバーの一人、井下春子さん(72)=広島市南区=は、歴史認識をめぐって繰り返される中国側の発言にいら立ちを覚えた。いわく「原爆が落とされたのは日本の侵略のせいだ」。そうした発言が出るたび、同意できない表情を浮かべた。

  責め負う側■

 彼女は、日本が植民地支配した朝鮮半島から広島に渡って被爆した在韓被爆者の支援を個人で続ける。五十歳をすぎて留学し、韓国語まで修めた。若いころ洗礼を受けたキリスト教団が「日本の侵略戦争に加担した」との告白を受け止め、自分なりに何ができるのかと思ったからだ。

 「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」を見学した後、昼食の席で、北京から同行した中国人民平和軍縮協会の陳懐凡主任(37)がこれまでの感想をメンバーに聞いた。井下さんはこう答えた。

 「あの戦争の時代を生きた者として、私は責められる側にある。戦争は手を汚さないという者をも巻き込む。今回、見たこと、対話したことを自分に問い掛け、歴史に対する答えを見つけたい」

 歴史の問題を国に任せるのではなく、一人の人間としてとらえ、行動したいとの考えを述べた。

 同時代を生き抜いた福島和男さん(72)=同市佐伯区=も、日本の高度成長期すら歴史上のひとこまとなる森上翔太さん(20)=廿日市市出身=も聞き入った。岳迅飛さん(32)=東広島市=は中座して電話をかけていた。

 広島で被爆して帰国した元中国人留学生らに、手続きをすれば健康管理手当が、昨年から支給されていることを知らせようとしていた。メンバーがハルビンを訪れた際、長春市に住む初慶芝さん(84)本人と家族に連絡が取れた。井下さんが申請内容の説明役を務めた。

 しかし、南京にいるはずの男性は、過去に報じられた勤務先の大学名を手掛かりに捜しても、そうした人物はいないとの返事。他の大学に問い合わせる電話を続けた。

 メンバーは昼食を済ませ、南京外国語学校を訪ねた。中国の旅でヒロシマを伝える最後の機会。卒業試験を終えたばかりの日本語科の高校三年生六人と教師が参加した。

消息分かる■

 福島さんは「中国と日本が仲良くなるよう私も努力したい」と被爆証言を結んだ。森上さんは「核兵器をどう思う?」と率直に尋ね、若い世代の考えを知ろうとした。

 「何万人も一瞬に殺すなんて恐ろしい」「中国は核兵器を絶対に使わない」。高校生たちは物おじせず、短期留学した日本の魅力も語った。井下さんは「今度は広島に来て私の家でホームステイを」と求め、日本人と間違われた岳さんは「僕は中国人ですよ」と母国語で声を張り上げた。メンバーは、屈託のない笑顔に日中がこだわりなく向き合える未来を願った。

 その夜メンバーとの送別会の席で、今度は陳さんが旅の感想を語った。

 「私は、皆さんを通じて歴史に対して日本にさまざまな意見があるのを知った。また皆さんも中国人民の感情、平和を願う気持ちを知ったと思う」。それぞれが対話を振り返りうなずいた。

 次の訪問先へ向かうため一泊した上海で、捜していた王大文さん(78)の消息が分かった。南京工学院の講師だった王さんは「広島を再訪したい」と電話を通じて語った。

 岳さんがあきらめずに捜したのは、中国人の被爆が母国でも顧みられていないのを知り、「歴史への責任があると思った」からだ。広島で学ぶ学生として被爆の歴史を引き継ぐ意思を表した。

 歴史を見つめることは未来を考えることでもある。「終着駅」のない旅は韓国へと続いた。(文 編集委員・西本雅実、写真 荒木肇)=中国編おわり

(2004年8月2日朝刊掲載)

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