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連載・特集

広島世界平和ミッション 中国編 戦争記念館を訪ねて 日中関係映す「歴史認識」

 「広島世界平和ミッション」の第二陣は、中国の人々と対話を重ねる中で、日本の侵略のつめ跡も訪ねた。北京からハルビン、南京、上海と、抗日戦争(日中戦争)の歴史を展示する記念館を見学した。強烈な展示や説明文、疑問を抱かせる写真もある。しかし、日本が中国に軍を派兵して民衆も殺りくしたのは紛れもない歴史。各地の戦争記念館と、中国がいう「正しい歴史認識」とは何なのかを、専門家へのインタビューとともに紹介する。(文 編集委員・西本雅実、写真 荒木肇)

 抗日戦争がテーマの戦争記念館が誕生したのは、実はそれほど昔のことではない。一九八〇年代からの日本とのぎくしゃくする政治的な関係を反映している。

 日本政府が教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えさせたとの八二年の報道をきっかけに、中国政府は七二年の国交正常化からの対日政策を転換する。日本の「歴史認識」を一貫して政治問題に取り上げるようになった。

 そして「抗日戦争勝利四十周年」の八五年を期すように、ハルビンに「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」、南京に「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」ができ、北京では「中国人民抗日戦争記念館」が二年後に正式開館した。

 日本は八五年、「戦後政治の総決算」を掲げた当時の中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝。中国側は「侵略の責任を認めよ」と、さらに日本批判の声を強めていく。

 「改革・開放」の一方、江沢民氏が国家主席(現・中央軍事委員会主席)だった九〇年代半ばからは「愛国主義教育」が徹底して行われる。各地の戦争記念館は、共産党中央や地元政府の「教育基地」となり、小・中学生からの見学が推奨される。

 経済発展を象徴する上海に「淞〓抗戦記念館」の建設が計画されたのは「抗日戦争勝利五十周年」の九五年。開館は二〇〇〇年と新しい。

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝を機に、日中両国首脳の相互訪問は〇一年から中断し、「冷えた政治」の関係が続く。この間、各地の戦争記念館を運営する市の政府は入場無料に踏み切り、展示スペースや資料の拡充にも努めている。

 「日軍の残虐ぶり」を伝える写真は、いつどこで、誰が撮ったのか、出典が明示されていないものが多い。それらの中には「皇軍」の「勇壮」ぶりを報じた当時の日本の新聞記事が使われている。

北京大教授 王曉秋氏に聞く

教訓学び 互いの利益に

 中国政府が日本に執ように求める「歴史認識」について、北京大歴史学部の王曉秋教授(62)に尋ねた。教授は、中日関係史学会副会長も務め、北京大での第二陣メンバーによる被爆証言の場を受け入れた。

  ―中国政府が「正しい歴史認識」を強調するにつれ、日本では各種の世論調査でも「嫌中感」が広がっています。
 国、民族はそれぞれの歴史観や解釈があって当然。問題は、ほかの国と関係するときにどう認識するかだ。日本はたび重なる侵略を中国に加え、欧米も巻き込んだファシズム戦争を引き起こした。世界史的な視野からとらえるべきです。

 正しい歴史認識は二つの側面がある。何があったのかを明らかにし、客観的にみる。二つ目は今日的な意味です。過去に戻るのではなく、輝かしい未来をつくるために歴史を見つめることです。

  ―幼いころからの「愛国主義教育」の徹底は、一党支配の政治体制の強化と関係があるのでは。
 誤解だ。どのような国家を目指すべきか、全人民が自信と誇りを持ち、今と将来をよりよいものにするため教えている。

  ―教育基地でもある戦争記念館の展示は、若い世代に反日感情をかき立てていませんか。
 反日的な宣伝が目的ではない。五千年の歴史を持つ中華民族が受けた侵略の屈辱、苦難にどう立ち向かったのかを若者に覚えてもらいたい。広島には原爆の悲惨さを展示する記念館、欧米ではユダヤ人虐殺記念館があるように、どこでも苦難の歴史を重要視している。屈辱を知ることで人は発奮、向上すると中国の先人は言っています。

  ―日中戦争の帰結ではなく、核時代の始まりを告げる歴史として「原爆展」を中国で開くことは可能でしょうか。
 日清戦争(一八九四年)に始まる日本の侵略は、中華民族に多大な被害を与え、日本人民も犠牲となった。顕著な例が広島・長崎だと思う。もっとも、なぜ原爆が落とされたのかを認識し、原爆の被害を伝えるより、一歩進んで戦争を繰り返さないよう考えていくのが先決でしょう。

  ―中国の人たちは、日本がどう振る舞えば「正しい歴史認識」を持ったと思うのですか。
 多くの日本人民が平和を願っているのは知っています。問題は実権を握っている政治家たちの考え。侵略の事実を認めず、歴史の教訓を学ぼうとしない。首相の靖国神社参拝はその現れ。ああした振る舞いではアジア諸国から信用されません。

 日本は中国の隋、唐の時代から多くを学び、中国も近代化を成し遂げた日本から学んだ。長い友好の交流史がある。中日両国は、和すれば互いに利益を得てきた。先人も言ったように、歴史は最良の師です。私たちが歴史の教訓をいうのは、平和と友好に向けて互いの利益になると思うからです。

 上海生まれ。1964年北京大を卒業。文化大革命さ中の70年から翌年は肉体労働に従事した。91年から教授。全国人民政治協商会議委員も務める。著書に「中日文化交流史話」など。

(2004年8月3日朝刊掲載)

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