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「死への暴動」現代に問う 広島で公開中 記録映画「カウラは忘れない」

太平洋戦争末期 豪収容所の極限状況伝える

 太平洋戦争末期のオーストラリア・カウラで起きた日本兵捕虜の脱走暴動「カウラ事件」の生存者たちを追った記録映画「カウラは忘れない」が、広島市西区の横川シネマで公開されている。戦場を生き延びていながら、捕虜たちはなぜ「死への暴動」を選んだのか。日米開戦80年の節目にあって戦時下の極限状況を世に訴える労作である。(特別論説委員・佐田尾信作)

 暴動は1944年8月5日未明にカウラ収容所で発生。バットや洋食器などを手に鉄条網に突進したが、直ちに鎮圧され、200人を超す捕虜と監視兵が死亡した。「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」とする当時の「戦陣訓」に加え、捕虜を下士官と兵に分離する収容所側の動きが背景にあったとされるが、一人一人の心の奥底は今も分からない。

 監督の満田康弘にとって本作は「クワイ河に虹をかけた男」(2016年)とコインの裏表になるという。「クワイ河―」は倉敷市の元陸軍通訳永瀬隆を追った記録映画。戦時中、旧日本軍が連合国軍捕虜を酷使して建設した泰緬(たいめん)(タイ・ミャンマー)鉄道を巡る償いと和解に尽くした人物で、カウラ事件を伝えることは永瀬の遺言だった。

 日本軍は敵国の捕虜を正しく処遇しなかったばかりか、自国の兵が生きて捕虜になることも認めなかった。映画に描かれるように、カウラの日本人墓地に眠る者たちの多くは「偽名」。現在のカウラ市が日豪友好を掲げて兵たちの死を悼んでいても、墓碑に本名が刻まれぬ兵たちは祖国からは見捨てられている。

 満田が追った4人の生存者のうち、戦後も苦難を背負ったのが立花誠一郎である。陸軍通信兵の立花はカウラでハンセン病と診断され、隔離されて暴動の日を迎える。死なずに済んだものの、復員後は直ちにハンセン病療養所に送られ、瀬戸内市の国立療養所邑久光明園で17年に生涯を終えた。

 立花は亡き戦友への負い目を忘れず、療友へのいたわりを忘れない。晩年は山陽女子高(岡山市)の放送部の聞き取りに応じ、カウラで手作りした古いトランクを彼女たちに託した。だが邑久光明園納骨堂の立花の骨つぼには、本名が記されていないこともまたカメラは映し出す―。

 映画では「劇中劇」も重要な役割を果たしている。劇作家坂手洋二率いる劇団燐光(りんこう)群が「カウラの班長会議side A」と題する芝居を、暴動から70年を経た14年にカウラで上演した。暴動をなぞるだけではない。捕虜たちは本当に踏みとどまれなかったのか、見る者に問い掛け、あの時代と今とをつないでいるようだ。

 瀬戸内海放送製作、1時間36分、横川シネマでは16日まで。(敬称略)

(2021年12月11日朝刊掲載)

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