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連載・特集

広島世界平和ミッション 国境超え反戦へ連帯 核・化学兵器ない世界を

 平和記念式典への参列、慰霊碑巡り、ラジオへの出演―。広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)で中東や北東アジア、欧州地域を訪ねたメンバーは六日、現地で交流したイラン人や英国人を迎え、五十九回目の「原爆の日」を分かち合ってきずなを強めたり、電波を通して平和ミッションの体験を伝えた。

イランの毒ガス被害者 式典参列し決意

 イランの毒ガス被害者ら八人は「大量破壊兵器のない世界へ」などと日本語でつづった小さなプラカードを胸に抱えて着席。平和ミッション第一陣に参加した被爆者の寺本貴司さん(69)=広島県大野町、薬剤師の津谷静子さん(49)=広島市東区=と式典を見守った。

 被害者の一人でイラン国営通信のカメラマン、メヘディ・ジャファリさん(34)は会場の様子をつぶさに撮影した。「行政と市民が一体となった荘厳な雰囲気に、式典中だけで八百枚も写真を撮った」と額の汗をぬぐっていた。帰国後は、一行を派遣した化学兵器被害者支援協会の機関紙などで紹介する。

 同じ被害者のアブーバクル・マレクアーリーさん(42)は小学生二人による「平和への誓い」をペルシャ語の通訳を介して、うなずきながら聞いた。「平和教育が実っている。イランで毒ガスについて子どもたちにもっと学ばせたい」と印象を語った。

 一行は式典後、原爆慰霊碑に折り鶴をささげ、広島との息長いつながりを誓った。寺本さんは「体調不良に耐え、暑い日差しの下で座り通した毒ガス被害者の姿に、核兵器も化学兵器もなくしたいという強い意志を感じた」と話していた。

若者に体験継承 重要 国連のフィッチさん 第三陣と慰霊碑巡り

 欧州三カ国を訪問した第三陣は、英国南部のブライトン市で交流した国連ピースメッセンジャー都市国際協会事務局長のブライアン・フィッチさん(63)と式典後の平和記念公園で再会。公園内の慰霊碑巡りであらためて被爆の実情を伝えた。

 フィッチさんは、子どもたちに被爆体験を伝える活動を続けている胎内被爆者の石原智子さん(58)=広島市安佐南区=らメンバー四人の案内で、韓国人原爆犠牲者慰霊碑や原爆供養塔を回り、いまだに遺骨の身元さえ判明しない五十九年前の惨状に思いをはせた。

 同協会事務局長として夏の被爆地訪問は十四回目というフィッチさん。「何度来ても広島は、あの日何が起こったか思い出させてくれる」としみじみ語り、石原さんの体験談を交えた説明に、熱心に耳を傾けた。

 「若い世代にヒロシマの体験を引き継いでいく重要性を感じる」。フィッチさんの言葉に、石原さんは「私は被爆地で継承活動に励むので、ブライトンでも平和のために働く若い人たちをしっかり育ててください」とエールを送っていた。

Pステ特番に参加者が出演 「相互理解はぐくむ」

 コミュニティーFM局・ひろしまPステーションの特別番組「外から見たヒロシマ」に出演したのは、第一陣で南アフリカ共和国、イランを訪ねた津田塾大四年の荊尾(かたらお)遥さん(22)=広島市安佐北区出身=と、第二陣で中国、韓国を訪問した広島大大学院生の岳迅飛さん(32)=東広島市。

 午前八時から約三十分の式典会場からの中継と、同九時から約一時間の中国新聞ビル九階のスタジオからの生放送で、荊尾さんは「南アフリカやイランではまだ原爆被害の実態は十分に知られていなかった。でも、平和と和解を求めるヒロシマの訴えに深い共感が得られた」と強調した。

 一方、反日感情の強い母国へ「和解」を課題に訪ねたという岳さんは「意見の違いはあっても、互いに率直に話し合えた。平和ミッションのような試みが市民の間に相互理解をはぐくみ、本当の平和をつくりだしていく」と話していた。

(2004年8月7日朝刊掲載)

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