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連載・特集

広島世界平和ミッション 韓国編 過去、今、未来 <1> 被爆の清算

苦難と勝訴 後世に残す

 「広島世界平和ミッション」(広島国際文化財団主催)の第二陣は、中国に続き韓国を巡った。日韓は今、一日一万人が行き来し、韓国発の映画やテレビドラマは日本で熱い視線を集める。しかしながら韓国で日本への厳しいまなざしが消えたわけではない。日本の植民地統治に協力した「反民族行為」を究明する法律は今年に入りできた。隣国、ひいては北東アジアの友好と平和に向け、過去、今、未来を探った対話の旅を伝える。(文 編集委員・西本雅実、写真 荒木肇)

 「やあ、いらっしゃい」。郭貴勲さん(80)=城南市=は、上海から韓国入りした一行を仁川国際空港で出迎えた。旧友の井下春子さん(72)=広島市南区=に「疲れたでしょう」とねぎらいの声をかけ、初対面の他のメンバー三人に名刺を差し出した。

 横書きの名刺の冒頭には日本語でこう印字していた。「被爆者はどこにいても被爆者」。その信念から、元韓国原爆被害者協会長は、自国を巡るミッションに合流した。

証言はまれ■

 郭さんは、全州師範学校に在学していた一九四四年、朝鮮半島からの徴兵第一期生として広島の西部第二部隊に送られ、翌四五年、広島城の北側で原爆に遭う。上半身に大やけどを負い、その年の九月、解放された祖国に戻った。

 教壇に立つ傍ら、在韓被爆者の補償をいち早く要請。日本との国交が正常化された二年後に当たる六七年、韓国原爆被害者協会の創設に参加し、以来、辛酸をなめた同胞を代表して手弁当で広島市、後に日本政府そのものを相手に闘い続けた。八九年、ソウルの高校長で退職した。

 郭さんは、山歩きで今も鍛える足で一行を小型バスに先導した。福島和男さん(72)=同市佐伯区=との日韓の被爆者証言と討論を受け入れた忠清南道にある大学へと向かった。

 車中、郭さんは「原爆の恐ろしさを国の若い世代に話すのは初めて」と口にした。在韓被爆者の支援を続ける井下さんも「そうなんですか」と意外といった表情を見せた。

 韓国には海外最大の被爆者がいる。現在、大韓赤十字社に被爆者として登録するのは二千百九十九人、うち広島被爆が九割。もっとも韓国人の被爆は国内でほとんど知られていない。日本では在韓被爆者の顔としてメディアにも取り上げられる郭さんですら、証言を求められる機会はなかった。

 中国出身で広島大大学院の岳迅飛さん(32)=東広島市、東京大三年の森上翔太さん(20)=廿日市市出身=は、途中に訪れた天安市にある独立記念館で、被爆者問題への関心のなさを垣間見た。三十五年に及ぶ植民地時代から独立までの苦難の歴史を中心に伝える展示は、民族の被爆に触れていない。

 応対した金炯睦研究員(46)は「郭先生から頂いた資料を基に、被爆の問題も紹介したいと思っています」と話した。

「手帳」寄贈■

 記念館は、郭さんが日本の被爆者と同じ健康管理手当を求めて提訴し二〇〇二年末、日本政府に上告を断念させた一連の裁判資料などを収める。軍隊手帳や、治療のため密入国した韓国人に被爆者健康手帳の交付を認めた七八年の最高裁判決を受け、広島市が二年後にようやく郭さんに出した最初の手帳も含む。

 半生をかけた記録を寄贈した真意を広島からのメンバーにこう述べた。

 「偏見と無理解の中で死んでいった多くの被爆者の無念さ、責任を取ろうとしない日本政府を相手に手にした勝利を歴史に刻むためです」。資料には日本側の市民の支援も記されている。過去を清算し、未来に生かすためでもあった。

(2004年8月13日朝刊掲載)

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