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連載・特集

広島世界平和ミッション 韓国編 過去、今、未来 <3> 日本語世代 温かさと厳しさ交じる

 光州市を訪れた広島からのメンバー四人は、前夜過ごした会員の自宅から市中心街の雑居ビルに構える事務所に集まった。入り口には「光州韓日交友会」と、韓国ではどんどん少なくなる漢字の看板が出ていた。男女十八人が待ち受けていた。

従軍の経験■

 金在玟会長(80)は、流ちょうな日本語で活動を説明した。「七十歳すぎの者たちで日本語を教え合って親睦(しんぼく)を深め、地元の国立博物館でボランティア通訳をしています」。教師や公務員の退職者らで四年前に結成し、会員は四十三人。

 「では、歌いましょうか」と金会長はメンバーにも呼び掛けた。週二回の会の集いは必ず日本語の歌から始めるという。

 カラオケから流れ出たのは「赤とんぼ」「サーカスの唄」と、会員が若き日に親しんだ童謡や流行歌。最後は「鳳仙花(ほうせんか)」で締めた。植民地時代には禁じられた解放への願いを託した民族の歌である。

 メンバーの自己紹介で、福島和男さん(72)が「十三歳で独りになりました」と被爆体験に触れると、金会長は「私は日本軍の一等兵でした」と従軍経験を明かした。

 中国からベトナム、カンボジアへと転戦し、そこで終戦となった。「部隊の日本人の目があるので、心の中で生きて帰れると歓声を上げた。私が助かったのは原爆のおかげ」とも話した。

 画家の金永太さん(77)は、文化交流でたびたび訪れる広島の街の移り変わりを話した。「家々の玄関に平和を願う折り鶴が入った標識を見て感動しました。今は少なくなったのが残念です」

 メンバーに加わった元韓国原爆被害者協会長、郭貴勲さん(80)は、同胞被爆者の苦難と日本政府を相手に一昨年勝ち取った健康管理手当受給の裁判について語った。会員から拍手が起こった。すると、白髪の女性が「あなたが郭さんですか」と立ち上がった。

靖国に言及■

 申春姫さん(74)。亡き姉は広島で被爆したうえ長女を失って戻った。甲状腺を患うめいと、おいが六月に広島へ行って手続きし、手当を受けられるようになったという。申さんの息子がインターネットで郭さんの勝訴を知り、援護があるのに気づいた。「本当にありがとうございます」。握手を求められた郭さんは、しきりに顔を赤らめた。

 和気あいあいの中、元高校教師の閔成基さん(70)が「日本の首相は侵略主義者の魂を祭る靖国神社への参拝をやめ、韓国、中国と団結して、イラク戦争を続ける米国の横暴に対抗しなくては」と話し出した。韓国ではイラクへの派兵増強で国論が割れている。

 閔さん宅で前夜に語り合った森上翔太さん(20)が「三カ国が協力して平和を探るという考えは、日本ではあるようでない。思いもしなかった考えを学んだ」と受けた。

 大阪育ちの申正鉉さん(79)宅で泊まった、中国出身の岳迅飛さん(32)は「韓国は初めてです」といい、こう続けた。「昨夜は相撲の話題で盛り上がりました。申さんは日本で学んだ勤勉さを胸に前向きに生きてこられた。私もそうありたい」

 民泊と対話の場を設けたメンバーの井下春子さん(72)は、在韓被爆者が訪日して被爆を証明する難しさ、靖国神社を参拝する日本人の心情を、韓国語でも受け答えしていた。今年の春も会員と光州で花見を楽しんだ仲である。

 日本語に親しみを覚える世代は、原爆に遭った広島を見る目も厳しくかつ温かかった。最後はまた日本の歌の合唱になった。「私たちはとても好きなんです」。美空ひばりの「みだれ髪」だった。

  (2004年8月15日朝刊掲載)

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