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連載・特集

広島世界平和ミッション 韓国編 過去、今、未来 <4> 386世代 被爆者援護に声上げる

 大邱KYC(韓国青年連合会)事務長の金潼烈さん(37)は、平和ミッション一行を李朝時代を模した大邱市内の料理店に案内すると、待ちきれないとばかり歓迎のあいさつに立った。

 「韓日で被爆の問題を話し合い、解決を探る。こうした考えが、東アジアの平和と未来につながっていくと思う」。学生メンバーに続いて、やがて仕事を終えた社会人がさみだれ式に駆けつけた。リサイクル業、保険業、彫刻家…。いずれも三十代の男性ばかり。

 大邱KYCは二〇〇〇年に誕生した。非政府組織(NGO)の立場から、分断が続く北朝鮮との南北和解と青年交流、平和的な統一運動を目標に掲げている。

証言を記録■

 地元に広がる三十万平方メートルもの在韓米軍基地の見直し運動に取り組むうち、米国の原爆使用による被害者が身近にいるのに気付いた。大邱から車で二時間ほどの慶尚南道陜川郡に住む被爆者たちである。

 「日本の植民地時代からどう生きてきたのかを記録したい」。金事務長はメンバーが陜川にある原爆被害者福祉会館を毎月第三日曜日に訪ねては、被爆者とペアを組んで二十人から証言を聞き取っていると紹介した。今年三月から始めている。

 ミッションメンバーの森上翔太さん(20)は、前に座っていた女子学生に「参加のきっかけは?」と尋ねた。吉慧仁さん(21)は「ネットサーフィンをしていて、この活動を知った」と二年前から勉強している日本語で答え、笑顔で続けた。

 「原爆は日本のことだと思っていた。韓国に被爆者がいるのは全然知らなかった。証言を聞いていると勉強になる」。森上さんは、ネット上で知ってすぐに行動に移す吉さんの姿勢に「すごいなあ」とうなった。

 ひざを交えた夕食の席は、いつしか二十人に膨れ上がった。車の整備会社を営む李鍾山さん(38)は、携帯電話をそばに置いて熱弁を振るった。

 「米国は、原爆を投下する必要がなかったのにソ連を抑え込み、今に続く世界戦略のために使ったと思う」。金事務長とは学生時代からの付き合い。民主化運動に参加し、共に逮捕されたと豪快に笑った。

 被爆者の福島和男さん(72)は、交流を聞きつけたハンギョレの朴奠律記者(38)の取材を受けた。八〇年代の民主化のうねりのなかで創刊された新聞社の記者は、日本の戦争責任から今の日韓関係まで質問を重ねた。福島さんは「政府同士は対立することがあるから、民間の交流が大切だ」と中国の旅から思うようになった考えを述べた。

学生も参加■

 二人のやりとりを通訳した大学四年の姜敬〓さん(25)は、東京で日本語学校に一年間通った。証言の聞き取りに参加して「ペアを組むおばあさんの力になりたい」と思うようになった。また「韓日が互いに理解し合うことで、精神的には遠い日本とも親しくなれるのでは」と思い始めている。

 ミッションメンバーは翌朝、「平和の広場」との看板を掲げる事務所を訪ねた。金事務長ら今の韓国社会をリードする「三八六世代」のメンバーはますます雄弁だった。

 日米にとどまらず、被爆者を放置した韓国政府にも厳しい意見を述べた。「戦争犠牲者の人権を考えることが平和を築く」。被爆二世の遺伝的な調査に取り組み、政府に働き掛ける考えを伝えた。すると元韓国原爆被害者協会長の郭貴勲さん(80)が声を荒らげた。

 「頭から遺伝すると決めつける活動ではダメだ」。被爆について韓国語でこんこんと語り始めた。メンバーで旧友の井下春子さん(72)も気おされる迫力だった。

(2004年8月16日朝刊掲載)

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