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遠い「帰村」 東日本大震災2年半 福島県川内ルポ 

戻れぬ 汚染懸念し半数避難/復興へ 土使わぬ農業に活路

 東日本大震災から11日で、2年半となった。福島第1原発から20キロ圏内に一部がかかる福島県川内村は、村外に避難した住民に「帰村」を呼び掛けるが、人口約2800人の半分も戻っていない。放射性物質への不安は根強く、産業再生も進んでいないからだ。再生への険しい道を歩む村を訪れた。(久保田剛)

 「かえるかわうち」。役場正面に願いを込めた垂れ幕が掛かる。「帰る」にちなみカエルの絵を添えた。「負けないぞ」と書いた看板も掲げる。

 役場は村中心部にあるが、辺りの人影はまばらだ。「外で遊ぶ子どもの姿が少なくなった。食事や買い物に出掛ける家族連れも減り、住民の表情も硬い」。村復興対策課の井出寿一課長(60)は、焦りをにじませる。

50歳未満26%

 原発事故直後、村は全ての住民約3千人に村外への避難を指示。除染作業の開始などを受け、昨年1月末に「帰村宣言」を出した。しかしことし4月現在、週4日以上の滞在者を含めた住民は1299人。「帰村率」は46%にとどまる。特に、50歳未満は26%しか帰っていない。

 避難先は、福島県を含めて28都道府県に及ぶ。猪狩貢副村長(64)は「子育て、現役世代が帰村をためらっている。1500人規模では村は成り立たない」

 帰村を阻むのは、放射性物質による汚染への不安だ。いまも村の東側は「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に指定され、いずれも夜間の滞在は原則禁止されている。

 除染作業も学校や診療所などから進めているが、1回の作業で目標に掲げる年間追加被曝(ひばく)線量1ミリシーベルトを下回らない場所もある。

 「事故前の数値に戻るのに何年かかるのか。帰りたいが、子どもへの影響を考えればできない」。岡山市北区の大塚愛さん(39)はそう打ち明ける。夫(41)と長男(8)、長女(4)の4人で避難生活を続ける。

 大塚さんは避難者支援グループ代表を務めている。「子どもは避難先の学校に慣れていく。母親の多くは長引くほど帰るのは難しいと感じる」とメンバーの胸の内を代弁する。

 農林業や畜産が主産業の村は復興の礎として、雇用を生み出す企業誘致を掲げる。ことし4月、レタスやハーブを水耕で生産する「川内高原農産物栽培工場」が稼働を始めた。土を使わないクリーンルームでレタスを育てる。これなら汚染を懸念する必要がない。内部は太陽光に替わる赤と青の発光ダイオード(LED)の明かりがまばゆい。

稼働率は4割

 村と民間企業が出資した株式会社KiMiDoRi(キミドリ)が運営する。1日に最多で約8千株を出荷できるが、現在の稼働率は約4割がやっと。25人の雇用を目指すが、従業員数は15人にとどまるからだ。

 同社の早川昌和社長(56)は「新しい村のモデルとなるためにもフル生産したいが、働いてくれる人が集まらない」と残念がる。

 村は、土地と建物を提供してコンビニエンスストアを誘致。スーパーや葬祭センターなどの建設も計画する。猪狩副村長は「今は民間がやるべき事業も肩代わりし、住民を呼び戻す契機にするしかない」。先を見通せない苦しさをにじませた。

(2013年9月12日朝刊掲載)

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