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連載・特集

世界平和ミッション 第二陣メンバー座談会 相互信頼から和解へ

出席者

被爆者         福島和男さん(72) 広島市佐伯区
韓国語翻訳家、書家   井下春子さん(72) 広島市南区
広島大大学院文学研究科 岳迅飛さん(32)  中国内モンゴル自治区出身、東広島市
東京大3年       森上翔太さん(20) 廿日市市出身、東京都杉並区

聞き手 中国新聞編集委員 西本雅実

 「広島世界平和ミッション」(広島国際文化財団主催)の第二陣は、中国と韓国を六月十九日から二十日間にわたり旅した。北東アジアの友好と平和を探ろうと、メンバーは日中韓の世代を超えた市民からなった。被爆の実態を両国で伝えると、必ず日本の侵略や植民地支配の責任を問う厳しい声が返ってきた。ヒロシマが「平和と和解の精神」を唱えるなら、つながりの深い隣国とは「歴史の和解」が要ることをあらためて知らされた。広島からのメンバー四人に歴史認識をめぐる対話の旅を語ってもらい、韓国で合流した被爆者の寄稿を紹介する。<文中敬称略>(平和ミッション取材班)

歴史の旅を終え

判で押した政治主張 福島さん
認識の共有は難しい 井下さん

  ―歴史を見つめる旅を振り返っての印象は。
 福島 中国人民平和軍縮協会(ミッションを受け入れた中国共産党中央の対外部門)の付き添いで北京からハルビン、南京と訪ね、温かく迎えられた。ところが議論になると一転、日本の侵略や、小泉首相の靖国神社参拝を追及された。日本軍の被害者の証言には心を痛めたが、国の要人から学生まで判で押したような主張に嫌気もさした。政治や教育が徹底している。

 井下 歴史認識の共有は難しいと思った。日本が敗戦を一般に終戦と呼ぶのは「戦争の時代はもう終わり」との気持ちがある。中国は愛国主義教育から自国の戦勝をたたえ、核兵器は国を強くする効果的な武器とみる。靖国参拝も軍国主義の指導者を個人崇拝していると受け止める。議論の基盤がかけ離れていたし、中国の言論統制から自由な意見が感じられず、かみ合わなかった。

  ―岳さんは、母国への旅でもありました。
 岳 原爆で両親らを失った福島さんの証言を聞いても、それがどうしたという学生の態度にはショックを受けた。自分たちの主張を貫く考えには感心しなかった。一方、七三一(日本軍の細菌戦部隊)の被害家族の生存者と福島さんとの握手には心を打たれた。国と国は乗り越えられない壁があるけれど、人間同士では共通の言語があると気づいた。本音で語り合える場があれば、共感の接点は見つけられる。

 森上 原爆をめぐる受け止め方は、広島育ちの自分とは全く違っていた。ヒロシマを伝えるのは容易ではないと知った。通り一遍の若い世代の主張を聞いて、自分の考えも一面的なところがあると思った。日本にいては分からない歴史を学べた。

「反日」なのか

大半の人は冷静対応 岳さん
愛国主義の連鎖だめ 森上さん

  ―帰国後、中国であったサッカーのアジア・カップでみられた日本チームへの罵声(ばせい)が「反日」と広く報じられました。あのような対日感情をどう受け止められましたか。
 福島 あの騒ぎ以降、知人から中国に行ってどうだったと聞かれたが、私たちは不愉快な目に遭わなかった。ただ被爆体験を話すと、若い人たちからは感情的な反論が出る。持参した被爆資料の展示は手伝うが、公式の場となると厳しくなる。教育にまじめに従い過ぎるのでしょうか。

 井下 愛国と表裏一体の日本の侵略ばかりを強調する教育では、日中友好を思う気持ちは起きないだろう。教育の恐ろしさがある。もっとも、若い人が騒いだのは抑圧されたエネルギーの発散ではないか。天安門事件(一九八九年に起きた民主化を求める運動)と違って、政府が公認する日本たたきはやっていいということ。

 岳 自称「愛国主義者」らがエネルギーをガス抜きした面はある。ブーイングや日本への過激な発言は、中国が大国になったのを確かめたい気持ちや、日本より遅れているコンプレックスが交じる。しかし、中国人の大半はゲームに負けても冷静だった。日本はそこをもっと見てほしい。

 森上 日本が若い世代のフラストレーションのはけ口になっている。でも反日感情を突きつけられ、反発するのは良くない。隣国の愛国主義に対抗して、自国の愛国主義を育てる悪い連鎖の始まりにしたくない。嫌だなという感情を抑え、冷静さを保つべきだ。

  ―韓国は日本の大衆文化の開放を進める一方、植民地時代の「親日反民族行為」を究明する特別法をつくっていました。
 井下 親日派と知日派の違いが混同され、政治問題となっている。日本への競争意識も絡む。同時に、反日感情の矛先は自己批判に向かっている。植民地から解放後の自分たちはどうだったのか、歴史の教科書ではどう扱ってきたのかと省みようとしている。

 森上 大邱KYC(韓国青年連合会)のメンバーは問題意識をしっかり持ち、被爆者支援に取り組んでいた。中国では被爆を日中戦争の結果とみるが、韓国は今につながる人権問題としてとらえており、刺激された。

未来に向けて

体験証言へ課題負う 福島さん
政治抜きの交流必要 井下さん
まず文化や経済から 岳さん
相手の言い分理解を 森上さん

 ―ヒロシマは核時代の始まりとの考え方は、残念ながらあまり共感を得られなかった。少しでも理解を広げるには何が必要だと思いますか。
 森上 譲歩することだと思う。原爆投下を歴史の文脈でとらえる見方と、核の恐ろしさを伝える両方の見方がある以上、まずは相手の言うことを理解する。そこから始めることが大切では。

 福島 中国では、原爆投下は戦争を起こした日本の「自業自得」といわれた。一方で「平和な世界に向けて努力しよう」との意見もあった。素直な言葉に接すると、私の証言は少しは役立ったかなと思う。しかし、中国が持つ核兵器は「自国防衛のため」と繰り返された。弁解にしか聞こえなかった。

  ―核兵器はよくないという素朴な訴えですら中国では難しい…。
 岳 日本が強くなると再び狙われるかもしれない、米ロの脅威から国を守るため核は必要という考えが根強い。だけどインターネットの普及や海外旅行で情報が入りやすくなった。豊かになるにつれ、軍事大国なのか、文化大国になるのかと思い始めている。中国は何でも時間がかかるが、きっかけがあれば変わる。結論を急がず、あきらめず交流することだ。

  ―韓国の若者からは、北朝鮮の核開発に賛成するとの声もありました。
 井下 北朝鮮が核を持っても大したことはない、統一すれば武器の一つくらいの気分ではないか。朝鮮戦争を経験した世代が社会の一線から退き、戦争への実感が薄れていることもある。

  ―広島・長崎市が提唱する平和市長会議には、広島の姉妹都市である大邱も入らず、韓国はゼロが実情です。
 井下 歴史の教科書にも原爆の記述はなかった。大邱からは市民団体や放送関係者が広島に来るが、帰国後に発表すると広島で言っていた内容と違う。在韓被爆者の存在が少しずつ知られ、原爆の恐ろしさが分かってきているが、日本はリーダーシップをとる立場でないと一般にみている。被爆の話を素直に受け止める関係は、当分は出てこないでしょう。

  ―中国、韓国との未来を語ることは、過去の清算と重なります。ヒロシマを伝えるためにも、歴史の和解にどう努められますか。
 森上 自分たちが言いたい核の恐ろしさを一方的に訴えるのではなく、相手の文脈の中でどう伝えられるかを、しっかり考えたい。起きた事実そのものを見てほしい、ということをうまく説明する方法が要る。自分自身への課題だと思っている。

 福島 日中戦争の被害者の話をどう伝えたらいいのかを考えている。被爆体験を証言するとき盛り込みすぎると、原爆の被害が薄れる。葛藤(かっとう)がある。韓国では、日本政府のお金で建てられた陜川の原爆被害者福祉会館を訪ね、入居者から「ようしてもらっている」との言葉を聞いた。どこか胸のつかえが下りた。

 岳 日本文化や、日本とのビジネスに関心のある中国人に着目してはどうか。例えば、環境を守りながらの経済発展は中国でも可能だと働き掛け、信頼を深めていく。互いに信頼がなければ、本当の対話は難しいし、ヒロシマがいう平和は複雑さを抱えた中国では伝わらないと思う。

 井下 今年の夏に五十回となった広島平和美術展に、軍縮協会を通じて呼び掛けると中国から書が出品された。来年もとの返事が来ている。政治を背負わない立場で交流する。それなら原爆資料館を見ても感想は違うだろうし、家族や周辺に伝えてもらう。経済発展で生活にゆとりができれば、日本を共存の相手と考える人が増えて国も変わるだろう。民間の交流を地道に続けたい。

平和ミッション韓国の旅 寄稿

元韓国原爆被害者協会長 郭貴勲さん(80) 京畿道城南市

壁越えさせる本音の謝罪

 「原爆投下で日本が降伏し、祖国の光復(注・解放)が早められた」が韓国での一般的な認識です。六・二五動乱(朝鮮戦争)や、長く米国の影響下にあったため、原爆投下の非人道的な側面が強調されにくい環境に置かれてきました。日本の原爆観とは大きな開きがあります。従って、平和ミッションが韓国でどう受け止められるか、私としても不安でした。

前向きな若者たち

 最初に訪れた韓瑞大では学校ぐるみの歓迎を受けましたが、学生たちは核の危機や平和に対して理想論に傾いた感がありました。台風の中での光州訪問は、参加者が老年層だったために懐古的で未来志向に欠けました。

 「韓国の広島」といわれる陜川の原爆被害者福祉会館を訪問した後、大邱を訪れました。大邱KYC(韓国青年連合会)との討論が主でした。彼らは韓国人被害者に献身的に奉仕する者たちですから核や被爆について、他のどこの若者よりも豊富な経験と知識を持っての話し合いでした。

 反核運動と平和運動の在り方や、自分たちがこれからやろうとしている計画についても詳しいビジョンを持っておりました。誠に頼もしい若者たちだと痛感しました。

 ソウルでは、私が校長をしていた東国大付属高校で「韓日歴史認識座談会」を設けました。日本の雑誌などが韓国では反日教育をしているとも報じているからです。

 そこでは、歴史の先生と生徒と突っ込んだ話し合いができました。教師も事実は教えるが反日感情をあおることはない、公正と冷静な教育をしているし、生徒たちも感情を乗り越え、国際人としての友好と協力が望ましいと訴えておりました。

過去の清算に補償

 旅の順序は前後しますが、国史編纂(へんさん)委の李萬烈委員長の話を記述する必要があります。韓日両政府の「歴史共同研究委員会」のメンバーでもありますから、日本の歴史学者との交流も多々ある人です。日本が平和を論ずる前に、過去を清算し補償が先だと言い切りました。「日本は何回も謝ったではありませんか」と反問すると、建前ではしたけれども本音の謝罪はしていないと言いました。

 日本の近隣の国の人々は、日本が太平洋戦争中に犯した罪を心から謝っていないと思っています。それをしないで仲よくしましょうと日本が手を差し伸べても、人々がそっぽを向くのは当たり前であります。  韓国や中国の各地を回りさまざまな人々と話をしてきた結果、そのような歴史の壁を乗り越えることができなかった。平和ミッションの限界でした。(原文は日本語)

(2004年9月6日朝刊掲載)

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