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広島世界平和ミッション フランス編 崩れぬ神話 <1> 核抑止論 「外交の道具」に戸惑い

 広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第三陣は七月、フランス、英国、スペインの欧州三カ国を約四週間かけて巡った。五人のメンバーは被爆体験などを伝えて、核兵器保有国の「核抑止論」に疑問を投げかけ、戦争やテロの被害者とは痛みを分かち合った。最初の訪問国フランスでは、「核翼賛体制」ともいえる核政策の一端に触れ、核兵器廃絶の前に立ちはだかる壁の厚さを知った。一方で、隠されてきた核被害に声を上げ始めた人たちとも出会った。旅を通じ、三色旗が体現する「自由・平等・博愛」のフランスの素顔を見つめる。(文・森田裕美、写真・田中慎二)

 フランスでの活動初日、初秋を思わせるひんやりとした空気に触れながら、メンバーはパリ中心部にある国立国際関係研究所に向かった。一九七九年に設立された国を代表する国際問題の研究機関である。石造りの白い建物。緊張した面持ちで中に入ると、ガラス張りの会議室に通された。

  保有は続く■

 安全保障担当のドミニク・ダビッド教授(54)が、トーマス・ゴマルト研究員(31)を伴って現れた。教授は笑みを浮かべて席に着くと、「政府見解」と称して核保有の理由をこう切り出した。

 「核保有はまったく抑止力のためだ。世界の国々はみな本心では核兵器を持ちたいと思っており、今後、世界から核兵器はなくならないだろう」

 ダビッド教授は、その証拠に米国もロシアもいまだに多くの核弾頭を抱え、インド、パキスタン、イスラエルをはじめ、イラン、北朝鮮など疑惑国も含めて核は拡散していると断言する。

 六〇年二月、アルジェリアのサハラ砂漠で初の原爆実験に成功し、米ソ英に次ぐ四番目の核保有国となったフランス。米英両軍のイラク戦争に頑固なまでに反対した平和的なイメージとは裏腹に独自の核政策はヒロシマの願いとはほど遠い。

 ダビッド教授の話は続いた。「冷戦後、確かにフランスに敵はない。しかし核保有は外交政策の一つだ。わが国の安全保障に欠かせない」

 伝える体験■

 五十九年前、広島・長崎で、多くの命を奪った核兵器が「外交の道具」として語られている―。国際政治の専門家なら、それを「常識」として受け流すだろう。だが、胎内被爆者の石原智子さん(58)は、耐えきれなくなったように問いかけた。

 「国を維持するのも大事ですが、国民一人ひとりの生命を守る方が大事ではないでしょうか」。そして広島から持参した原爆写真ポスターを取り出した。

 きのこ雲の下にいて、死ぬまでがんで苦しんだ父。原爆投下の翌日、身重で廃虚の街をさまよい、原爆症と闘いながら自分を産み育てた母。両親の体験が、彼女の口をついて出た。

 思わぬ展開に、二人の研究者は渋い顔をしつつも、初めて目にする被爆直後の写真を食い入るように見つめた。しばしの沈黙の後、ダビッド教授が口を開いた。

 「フランスは民主国家だ。国のために人民を犠牲にしていいとは思わない。だから核兵器の使用には反対している」

 黙っていた被爆者の細川浩史さん(76)が穏やかな口調で尋ねた。「あなたは広島に来たことがありますか」。ダビッド教授はきまずそうに「ノン」と答えた。そして「次の予定が入っているので」と急いでミーティングを締めくくった。

 若手メンバー三人は、首をひねる。「核抑止の論理が理解できない」「本音が見えない」と。

 「簡単に分かり合えるとは思わない。でもヒロシマの実情が少しは伝わったと信じたい」。細川さんは自らに言い聞かせながらも、その表情には今後の交流活動への不安がにじんでいた。

 広島世界平和ミッション第三陣メンバーは次の通り。(敬称略)
 被爆者 細川浩史(76)=広島市中区▽胎内被爆者 石原智子(58)=同市安佐南区▽英国ブラッドフォード大大学院生 野上由美子(31)=同市安佐北区出身▽社会福祉士 山田裕基(27)=廿日市市▽筑波大1年 花房加奈(19)=広島市中区出身

(2004年9月12日朝刊掲載)

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