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広島世界平和ミッション フランス編 崩れぬ神話 <4> 劣化ウラン弾 不審な「死」 解明へ奔走

 パリ南部の郊外に広がるのどかな住宅街。ミッション第三陣メンバーは、その一角にあるアラン・アカリエスさん(61)の自宅を訪ねた。放射能兵器である劣化ウラン弾の被害者や家族でつくる「湾岸戦争・バルカン症候群被害者協会」(Avigolfe)の事務局長を務める。

 こぢんまりとしたリビングのソファに腰を下ろすと、アカリエスさんは早速、七年前に長男ルドビックさんを失った思い出や協会について語り始めた。

 「長男は一九九三年に徴兵され、半年ほど旧ユーゴスラビアの国連保護軍(UNPF)に参加していた。帰還してしばらくすると、全身の倦怠(けんたい)感を訴えるようになり、九七年に白血病で亡くなった。わずか二十七歳でね」

 当時劣化ウラン弾(DU)が旧ユーゴスラビアで使われた証拠はない。だが、アカリエスさんは「息子の症状は白血病など、ほかのDU被害者と同じだった。使われた可能性はあると思う」と語気を強めた。

補償求める■

 早すぎる息子の死に不信感を抱いた彼は、二〇〇一年に協会に入り、小学校長を退職した〇二年からは事務局長の大任を果たす。息子の死の真相解明だけでなく、今は事務局長として会員の被害を国に認めさせ、補償を求めるための情報収集に奔走する。

 協会は二〇〇〇年、九一年の湾岸戦争帰還兵で白血病やその他の病気で苦しむ元兵士らによって結成された。欧州のメディアが、ボスニアやコソボからの帰還兵にも同じ症状が出ていると取り上げ始めた〇一年、バルカン帰還兵や遺族も加わった。

 会員は百五十―二百人。「新規入会も多いけれど、政府の圧力におびえたり、会員であることで職を失ったりして会を離れる人も多く、入れ替わりが激しい」とアカリエスさん。協会ではこれまでに、白血病などによる帰還兵三十人以上の死亡を確認。五十人が政府に補償を求め、提訴の手続きをしている。

 アカリエスさんは独自に入手したコピー文書を広げて言った。「ほら、八〇年代につくられたDU製造工場では『実験で貫通させた物体には放射性物質を含む微粒子が付着しており、すぐに除洗するように』と書いたマニュアルまで配っていた。それでも政府は、DUの危険性や使用したことを認めようとしない」

 「国会で取り上げることはできないのですか」。被爆者の細川浩史さん(76)が尋ねた。被爆者援護も国会で取り上げられ、法整備された現実があった。

 「国会議員に働きかけても取り合ってくれない。政府も『米国の圧力でバルカン半島での過去のDU調査はできない』と言いながら、それを口実に自ら調査しようとしない」。アカリエスさんは自国政府を厳しく批判する。

痛みを共有■

 本棚に飾ってある家族の写真がメンバーの目に留まった。「息子さんですか?」

 アカリエスさんはうなずき、写真を見つめながら「まだ学生だった。亡くなったときは、息子には三カ月の子どもが…」と目頭を押さえた。

 「私も原爆で最愛の妹を失いました」。細川さんがそばから声を掛けた。アカリエスさんは「あなたがたに息子の話をしたのは、苦しみを分かってもらえると思ったから。少しでも多くの人にわれわれの現状を伝えてほしい」と願いを託した。

 帰りの列車で細川さんはあらためてヒロシマの役割について考えていた。「私たち被爆者は、被爆体験の苦しみを伝えることに終始しがちだ。でも、相手の痛みや苦しみに耳を傾け、受け止めることも大切な使命ではないか」

(2004年9月16日朝刊掲載)

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