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[ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す] 被爆の実態証言 県医師会が収録 医療記録収集の一環

 広島県医師会は16日、安芸高田市の医師児玉技郎(ぎろう)さん(96)の被爆証言の映像を県医師会館(広島市東区)で収録した。被爆直後の医療の実態を伝える資料や証言を掘り起こそうと、医療の記録や医師たちの証言を集める今夏からの活動の一環。児玉さんは、目撃した惨状などを初めて語った。

 児玉さんは当時、日本医科大(東京)2年だった。1945年8月6日は帰省先の現三次市から広島市内を訪問。広島駅近くの知人宅で、学徒動員が休みだった旧制広島高(現広島大)1年の弟と久しぶりに会っていた。「あまりの暑さに街中への外出をやめたのが生死の分かれ目だった」

 原爆さく裂時は吹き飛んだガラスで胸に軽い傷を負い、立ちのぼる灰色のきのこ雲を2階の窓から目撃した。知人の家族は顔にやけどを負い、帰ってきた。

 翌朝、まだ暗いうちに三次市の実家を目指して歩いた。芸備線沿いの道端や家の軒下には大勢の被災者が横たわっていた。「若い母親に背負われた女の子に求められ、水筒の水を飲ませてあげた」。親子がどうなったか、今も気にかかっているという。

 日本医科大を卒業後、50年代半ばに現在の安芸高田市で開業し、今も診療を続ける。「東京大空襲や長崎原爆で亡くなった同級生もいる。生き残ったのは運命だった」と振り返った。

 児玉さんが県医師会の資料調査の呼び掛けに応じ、聞き役は、被爆医療に詳しい広島大の鎌田七男名誉教授(84)が務めた。同会の松村誠会長(72)は「貴重な体験を託していただいた。他の被爆医師へのインタビューと合わせて編集し、公開したい」としている。(明知隼二)

(2021年12月17日朝刊掲載)

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