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連載・特集

広島世界平和ミッション 第四陣の横顔 <1> 森下弘さん(73) 広島市佐伯区五日市中央

核大国 40年ぶり訪問

 広島国際文化財団が派遣する「広島世界平和ミッション」の第四陣は十月五日から、ロシア、ウクライナ、ボスニア・ヘルツェゴビナの三カ国を巡る。核軍縮と核不拡散、民族紛争という二十一世紀の「人類の課題」解決の糸口を探る旅を前に、メンバー四人の横顔と思いを紹介する。

 一九六四年以来、四十年ぶりにモスクワを訪れる。前回はミッションがその精神を継承する「広島・長崎世界平和巡礼団」の一員としてだった。

 一行はモスクワの公園で、約二千人を前に被爆体験や核兵器廃絶を訴えた。滞在中に議論を交えたソ連平和委員会議長らは「核軍縮こそ国向上の基本」と口をそろえた。

 だが、ソ連はその後も米国と軍拡競争にしのぎを削った。八六年のチェルノブイリ原発事故ではヒバクシャが多数生まれた。ソ連が消滅した現在は、核兵器や核物質を狙うテロリストという新たな脅威にさらされている。

 「核をめぐる状況は悪くなる一方だ」。世界の各地から届くニュースは、当時では想像もつかなかった危機的状況を伝える。「もう一度、自分の目で核超大国の今を確かめたい」と再訪への思いを語る。

 広島一中(現在の国泰寺高)の三年のとき、爆心地から約一・五キロの鶴見橋西詰め(広島市中区)で被爆した。建物疎開作業の指示を受けている最中だった。

 やけどで顔の皮がむけた級友、川に浮かぶ遺体、虚空に叫び続ける軍人、街を焼き尽くす炎…。逃げ惑いながら目にした地獄絵図は脳裏に焼きついたままだ。

 自らも口元にケロイドが残り、左耳も失った。母は中区白島の実家の下敷きになり焼け死んだ。

 広島大文学部を卒業後、広島県立高校の書道科の教諭に。原爆について生徒の意識調査に取り組み始めたころ、知人の詩人から巡礼団への参加を勧められた。

 帰国後、高校の教科書にある原爆記述の少なさに疑問を持った。教職員仲間に協力者を募り、平和教材づくりに没頭。授業で使われる副読本を書き上げた。後に教授として教えた島根大などの教壇でも、次世代に平和を語り続けた。

 その傍ら、巡礼団を率いた米国人の故バーバラ・レーノルズさんが設立し、海外の訪問者がヒロシマを学ぶ「窓口」となっている「ワールド・フレンドシップ・センター」(西区)の理事長も十八年間務めてきた。

 ミッション参加は、世界巡礼をきっかけに始めた「平和活動のまとめの一つ」と言う。「多くの人々にヒロシマを伝え、一緒に旅する若いメンバーに体験継承のバトンを継ぎたい」

(2004年9月27日朝刊掲載)

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