広島世界平和ミッション 第四陣の横顔 <2> 小畠知恵子さん(52) 広島市中区袋町
04年9月28日
<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">核被害 共に考えたい</div><br>
「被曝(ひばく)医療など広島が蓄積したものを生かすことができるのでは…」。淡々と参加動機を口にする。
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旧ソ連の核実験場があったカザフスタン・セミパラチンスクの被曝者支援を一九九七年から続ける。昨年まで、市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)」の事務局長を務め、今年は副代表に。現地には五回足を運んだ。
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「核被害に遭うのは、いつも何も知らされない一般市民。そんな実情を広島市民の一割くらいには知ってもらえただろうか」。活動を顧み、自問自答する。
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音楽やバレエなど芸術・文化に興味を持ち、大学ではロシア語を専攻した。その後も、夫の転勤で全国を転々としながら、ロシア語講師や講座運営に携わった。
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七二年に語学力を高めようと、レニングラード近郊で一カ月を過ごした。「でも当時は語学をやりたいばかりで核問題への意識はなかった」と振り返る。
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転機は十年前の広島アジア大会にさかのぼる。期間中、通訳や地域の一館一国運動を通じて、カザフスタンとの草の根の交流が始まった。
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広島大原爆放射線医科学研究所で学ぶカザフスタン出身の研究員とも友人になった。核実験場近くの住民は放射線被曝について知識がなかった。身体に異変が起きても「先祖が悪いことをしたため、その罪で子孫が病気になる」と信じ込み、障害などがあっても隠していると聞かされた。
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「知らないが故のつらさ。廃虚から復興し、被曝医療にもたけたヒロシマから、何か彼らにメッセージを伝えられるのではないか」。九八年、草の根交流の仲間たちと「ヒロセミ」を設立した。
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セミパラチンスクで四百十回の核実験を繰り返した核大国ロシアは今、米国などと同様、核開発の「後始末」に頭を悩ます。
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核施設での事故や原発から出た膨大な使用済み核燃料処理、核実験や原発事故による放射能汚染…。「核をめぐる状況は人類にとって大きな問題なのに、みんな避けて通っている」
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カザフスタンとのかかわりから、核兵器の使用を食い止めるだけでは片付かない核時代の「負の側面」に気付いた。
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「ただ核兵器はいらないと訴えるのではなく、膨大な核物質と人類が今後どう向き合うか、現地の人たちと共に考えたい」。ミッション参加への自身の課題だ。
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(2004年9月28日朝刊掲載)