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連載・特集

広島世界平和ミッション 第四陣の横顔 <3> アンナ・シピローワさん(28) 東広島市西条町

日露の平和意識探る

 ロシアから日本に住んで六年目を迎えた。広島大大学院の博士課程で、国民と国家の関係について学ぶ。特に、国によって差が目立つ「平和意識」に焦点を当てている。

 「日本人は被爆の経験から、自国の特徴を表す言葉の一つに『平和国家』を掲げる」という。平和づくりは国家レベルで取り組む考えが強い半面、個人として行動に移す人は少ないようにみえる。

 「昨年三月のイラク戦争前、欧米では大規模な反戦集会があったのに、日本での盛り上がりは小さかった。平和を訴える国民の姿勢としては納得いかない」と流ちょうな日本語で説明する。

 一方、母国では「平和は戦って守るもの」との意識が強いという。ソ連時代から一貫して「占領目的で戦争をしたことがない」というのが母国の言い分である。「まあ、事実は違うけど…」。学者の卵として日ロどちらにも厳しい目を向ける。

 大河アムール川を隔てて中国と相対するシベリア開発の拠点の町ハバロフスクに生まれ育った。一九九一年のソ連解体当時は高校生。「幼いころから、いつか米国が攻めてきて核戦争になるのではと信じていたので、漠然とした不安におびえていた」と振り返る。

 ヒロシマ、ナガサキについては、中学の歴史で習った。「米国の非人道性が強調されていた」との印象が強い。東広島市に移り住んで初めて原爆資料館を訪れた。「核兵器が引き起こす惨状は教科書ではあまり説明されていなかった。想像もしていなかっただけに大きな衝撃だった」

 母国の人々の核抑止力信奉は今も根強い。「最近は中国の脅威を感じている。米国に対してはアフガン戦争やイラク戦争を勝手に起こしたとの見方から『何をやるか分からない』と再び警戒心が高まっている」と指摘する。

 そんな疑心暗鬼が、核兵器保有の支持基盤を一層強める。さらに核兵器を奪い、見境なく使うであろうテロ集団への「対抗措置」として「核兵器を手放せない」という新たな理由づけもロシア人の間で広がってきた。

 平和ミッションでは、母国がかつて経験した戦争の記念碑や戦跡を巡り、核戦略や核不拡散に携わる高官らに会うのを楽しみにする。「母国では得られない機会」として研究に生かすつもりだ。

 博士論文の完成を目指し、被爆地から母国を見つめ直す。

(2004年9月29日朝刊掲載)

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