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社説・コラム

『今を読む』 広島大名誉教授 成定薫(なりさだ・かおる) ユネスコ「世界の記憶」

選考に透明性確保を求める

 「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という言い方がある。「人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない」(広辞苑第七版)という意味で用いられる。

 権威主義的な為政者の考え方を示しており、民主主義の理念に反すると言えよう。民主的な社会では為政者の恣意(しい)は廃され、法に基づいて社会が運営されねばならないからである。さらに、法の執行にあたっては公平・公正さを担保するために、あらゆる段階で透明性が求められる。

 行政における情報公開の重要性の根拠がここにある。民主的社会にあっては「知らしむべし、由らしむべからず」なのである。しかるに筆者は最近、民主主義国日本であってはならないはずの「由らしむべし、知らしむべからず」としか言いようのない事例に遭遇し、残念な思いをした。

 筆者も加わる広島文学資料保全の会は広島市と共同で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の事業の一つである「世界の記憶」へ「広島の被爆作家による原爆文学資料」の登録を目指し、10月15日、日本ユネスコ国内委員会に申請書を提出した。

 「世界の記憶」とは、「世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的とし、ユネスコが1992年に開始した事業の総称」で、95年から登録が実施されている。現在は「フランス人権宣言」「アンネの日記」など429件が国際登録されている。日本関係では「山本作兵衛氏の炭鉱の記録ならびに記録文書」など5件、また日本と韓国が共同申請した「朝鮮通信使に関する記録」など2件が共同申請枠で登録されている。

 審査は2年に1回。1カ国からの申請は2件以内とされている。以前は個人や団体からユネスコへの直接の申請も認められていたが、現在は各国内委員会から推薦された案件が、ユネスコ本部で審議決定される仕組みとなっている。狭い門をくぐり高いハードルを越えねばならない。

 実際、2015年にも広島文学資料保全の会と広島市は今回とほぼ同様の内容で申請した。しかし国内委による選考の結果、本部への推薦対象とならなかった。申請のあった16件のうち「上野三碑」と「杉原リスト」を本部に推薦するとの所見が示された。

 推薦された2件のうち「上野三碑」は首尾よく「世界の記憶」として国際登録されたものの、「杉原リスト」は登録されないまま今日に至る。国内の厳しい審査を経て本部に推薦された案件がいかなる理由で登録されなかったのか。国内委員会は自らの責任の有無を含め、事情を明らかにすべきだと思われるが、説明は一切なされていない。

 中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録されたのがきっかけとなって日本政府から申し立てがなされ、「世界の記憶」の審査プロセスについて議論が長く続いていた。ようやく今年から新規の申請登録が再開された。

 今年は核兵器禁止条約が発効し、岸田文雄首相は所信表明演説で「核兵器のない世界を目指す」と宣言した。この状況を考えれば、核兵器がもたらした惨状を告発する「原爆文学資料」の重要性が認められないはずはないと確信していた。しかし今回も推薦対象には選ばれなかった。

 非常に残念ではあるが、ここで問題としたいのは選に漏れたことではない。「由らしむべし、知らしむべからず」と言うしかない対応である。

 国内委は、申請が11件あったこと、「貴重な史料」であるとして仏教関係資料2件を推薦対象に選考したことは表明したが、それ以上明らかにしていないからである。11件の中身を公表すべきであり、推薦対象とした2件についても、「貴重な史料」という一般的評価を超えた選定理由を明示すべきであると考える。

 国内委はホームページで強調しているように「ユネスコに直属の機関ではなく」、わが国の法律によって設置された行政機関である。民主国家の行政機関である以上、情報公開に努める、すなわち「知らしむべし、由らしむべからず」を目指さねばならない。

 46年兵庫県尼崎市生まれ。東京大大学院理学系研究科博士課程中退(理学修士)。76年広島大大学教育研究センター助手。79年総合科学部へ転じ、科学史を担当、同大講師、助教授を経て93年教授。10年退職。著書に「科学と社会のインターフェイス」(平凡社)。

(2021年12月18日朝刊掲載)

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