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連載・特集

三次に集団疎開 記憶刻んだ冊子 爆心地近い広島中心部の子どもたち 保管の住民、袋町小に寄贈

 戦時中に集団疎開した三次市三若町の善立寺での思い出を、袋町国民学校(現袋町小、広島市中区)の元児童が残した冊子がある。元児童が1977年に同寺に集まった際にまとめた冊子を保管していたのは、同寺の近くに住む久保久さん(90)。爆心地に近く、多くの児童が家族を失った同校の歴史を伝える資料として、袋町小に冊子を寄贈した。(石川昌義)

 「善立寺のつどい」と題した冊子には、元児童や地元住民約20人の手記が残る。袋町国民学校の児童が善立寺に到着したのは45年4月。山積みになった児童の荷物を馬車で引き、最寄りの塩町駅から寺までの道を歩く様子を回想して描いた挿絵もある。

 戦時中、久保さんは旧制日彰館中(現日彰館高)の生徒だった。善立寺の本堂で寝泊まりする児童が久保さん宅の風呂を借りていた縁で「集い」に招かれ、冊子を贈られたという。

 久保さんの妻キミ子さん(87)は11月下旬、広島経済大(広島市安佐南区)の名誉教授で袋町小の卒業生でもある岡本貞雄さん(69)=東広島市=に冊子を託した。大学生と沖縄戦の戦跡を巡る実践を続けた岡本さんは「疎開時の記憶を絵に残した資料は、NHK広島放送局が74年に呼び掛けて集め始めた『原爆の絵』にも通じる。当事者の実感がこもっている」と評価する。

 疎開児童は、同寺に近い川西国民学校(現川西小)で地元の子どもと机を並べた。終戦当時に同校5年生だった中本弘子さん(87)=三若町=は、疎開児童と合流する前月に満州(現中国東北部)から転居したばかり。「地元の友達がいない転校生の私に、袋町の子どもは優しくしてくれた」と懐かしんだ。

 袋町小の校史によると、袋町小の児童は田幸、神杉、和田、川西の各村(いずれも現三次市)に集団疎開した。「川西小学校百年史」によると、同寺に身を寄せた疎開児童は74人いたという。12月上旬に冊子を受け取った袋町小の福田忠且校長は「集団疎開経験者の記録は貴重。後世に生かす手だてを考えたい」と話している。

(2021年12月19日朝刊掲載)

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