×

連載・特集

広島世界平和ミッション 英国編 市民の力 <4> 外交姿勢に厳しい視線 被爆国の足元 

 リーズメトロポリタン大国際学部のキャンパスは、リーズ市中心部からやや外れた丘の上にあった。ミッション第三陣メンバーが到着すると、すでにアンゴラ、オーストラリアなど六カ国の留学生や教職員ら約二十人が集まっていた。

 同大では、今年六月にリーズ市と共催で「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を実施し、紛争解決などをテーマにした「平和講座」開設にも力を入れている。「学生らの意見を聞きたい」とのメンバーの要望に、「広島の体験も学びたい」と急きょ意見交換の場が設定された。

戦争が日常■

 ロビーの席に着くとスリランカ出身の留学生ラビ・マダラシンハさん(20)が、母国の内戦に触れながら「子どものころから戦争が日常だった。暴力では何も解決できないと思う」と問題を投げかけた。

 社会福祉士の山田裕基さん(27)が「人間が人間を傷つける戦争は許せない」と強調すると、パキスタン出身の同大英語教員ジャベイド・イクバルさん(48)も厳しい口調で英国を非難した。「この国は二十一世紀を最初から『戦争の世紀』にしてしまった」と。

 話題は、イラクをめぐる各国政府の対応に及んだ。筑波大一年の花房加奈さん(19)が、自身が英仏で受けてきた質問を投げかけた。「日本は米国に同調してイラクに自衛隊を派遣しました。そんな日本をどう見ますか?」

 「とても不思議だ」とイクバルさん。「一九四五年以降、戦争に参加せず兵士も自衛のためだったはずなのに、どうしてなのか」。他の教員からは「日本では最近、核武装論まで出ていると聞くけど…」との声も上がった。

 被爆国日本の外交姿勢に疑問が出される一方で、英訳の「はだしのゲン」を読んで原爆の本当の恐ろしさを知ったというデビッド・ブラハム国際室長が言った。

 「六二年のキューバ・ミサイル危機のとき、大人たちが『第二のヒロシマ・ナガサキ』になると話していたのが心に強く残っている。核戦争を阻止できたのは、あなたがたの体験があったからではないですか」

 彼の言葉に促されるように被爆者の細川浩史さん(76)と石原智子さん(58)が原爆写真ポスターを示しながら、それぞれ体験を語った。留学生らは静かに耳を傾け、ポスターに見入った。

 細川さんは証言にひと言つけ加えた。「日本で核武装を口にする人がいるのは、わが国でも被爆体験の意味が伝わっていない証拠です」

 イクバルさんは細川さんらメンバーを励ますように言った。「暴力が絶えない今こそ、核兵器が市民の上に落とされた広島・長崎の体験を、人類共通の問題として訴え続けなければ…」

核保有肯定■

 そのイクバルさんにメンバーがパキスタンの核保有について尋ねた。彼はみけんにしわを寄せて答えた。「パキスタンはインドが持っているから保有しただけ。使わないから問題ない」

 広島や長崎の経験を世界に伝える必要がある―。そう言った人がなぜ自国の核だけを正当化できるのか。花房さんの胸には、そのことが引っ掛かった。

 帰国後の九月、花房さんは外務省主催の「日本・南西アジア青年フォーラム」に参加した。インドやパキスタンの市民が、核保有をどう考えているかあらためて聞きたかった。実際に交流した青年らは、やはり核保有に賛成した。

 花房さんは精いっぱい反論を試みた。「でも、彼らの考えを変えるまでには至らなかった」と声を落とす。むしろ「日本も核武装する日がくるよ」と言われ、戸惑った。自らが立つ足元を、深く見つめ直している。

(2004年10月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ