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連載・特集

広島世界平和ミッション 英国編―廃墟から復興 コベントリー 未来へ届け 和解の精神

 憎しみではなく、和解を―。広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第三陣メンバー五人は、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍の空爆によって壊滅し、今は「国際平和都市」づくりに励むコベントリー市を訪ね、空襲体験者らと交流した。市民の平和への取り組みと交流の様子を紹介する。(文・森田裕美 写真・田中慎二)

 壁だけを残し、曇り空に寂しげにそびえる旧コベントリー大聖堂。かつて建物があったその場に立つだけで厳粛な思いにさせられる。

 案内を務めてくれた空襲生存者のジョン・ムーアさん(70)が、当時を振り返って言った。

 「まだ五歳でよく分からなかった。庭にいたら飛行機が魚の卵を生むように何かを落としていった」。親きょうだいは生き残ったが、市中心部にいた祖父母を失った。

  独軍の空襲で破壊

 今は平和団体の事務局長として活動するムーアさんの言葉に触発されるように、被爆者の細川浩史さん(76)が焼け残った聖堂を見上げながら感慨を込めて言った。

 「広島の原爆ドームは私には被爆犠牲者の墓標に見えるが、この大聖堂も同じ犠牲者の象徴。無言で平和を訴え続けているのですね」

 その大聖堂は、一九四〇年十一月十四日、夜から翌日にかけてのナチス・ドイツ軍による空爆で破壊された。爆撃機約四百五十機が五百トンの高性能爆弾と四万個以上の焼夷(しょうい)弾を投下。五百六十八人の命が奪われ、千二百六十六人が重軽傷を負った。軍需工場があった市街地は焦土と化した。

 翌朝、司祭は焼け落ちた聖堂の屋根に使われていた長大のくぎを取り出して十字架に組み、祈った。「天の父はお許しくださる」と。

 互いを許し、理解し合う十字架に込められた精神が今、「和解」をテーマにしたコベントリーの都市づくりに生きる。

 ロンドンから北西へ約百五十キロ。人口三十万人。古くから製造業で栄えた町には南アジア、アラブ、中南米からの移民も多く、多様な文化が息づく。同じ空襲被害を受けたドイツのドレスデンなど十八カ国二十五都市とも姉妹友好都市提携を結ぶ。

 多様な価値観尊重

 「もともと異文化にあふれた町。多様な価値観を尊重し、認め合う雰囲気が廃虚から立ち直り、和解と平和の道を選んだ背景にある」。同行の市議会議員デーブ・チェイターさん(56)の口調に誇りがにじむ。

 「ドイツを恨んでますか」。細川さんは、米国についていつも自分が尋ねられる質問をムーアさんに投げ掛けた。

 「恨んではいない。新しいドイツはナチスに戻らない。その証拠にイラク戦争だって支援しなかった」。ムーアさんの言葉を継ぐようにチェイターさんが続けた。

 「今ほど広島や長崎、コベントリーの体験が教訓になっている時代はない。和解の精神を、未来につなげていく努力が必要ですね」

 その言葉をメンバーとともにかみしめた。

(2004年10月7日朝刊掲載)

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