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丸木位里と飯室 パネル展 27日まで安佐公民館 作品の魅力再認識を

 「原爆の図」で知られる広島市安佐北区安佐町飯室出身の画家丸木位里(1901~95年)と飯室の関わりを伝えるパネル展が、地元の安佐公民館で開かれている。住民グループが広島大の協力を得て、丸木作品の魅力を再認識してもらおうと企画した。27日まで。無料。(重田広志)

 「丸木位里の足跡を訪ねる」をテーマにA1判のパネル11枚を展示。飯室に残る作品の完成年や北海道出身の俊(12~2000年)との結婚をはじめ位里の歩みをたどる年表もあり、写真やイラストを使って飯室とのつながりを伝える。

 26~92年に制作され、飯室の浄国寺、養専寺、正念寺にある6点のふすま絵の写真も展示。水墨のにじみを生かして竜とトラの迫力を荒々しいタッチで表現した「龍虎(りゅうこ)図」や、細かく丁寧な筆運びで松竹梅を描いた「松竹梅図」を紹介する。船宿を営む実家が太田川に近かったことが伸びやかな筆致を育んだとの解説も載せる。

 地元でも若い世代には位里のことを知らない人が少なくないことから、住民でつくるプラットホーム安芸飯室運営委員会が飯室とのつながりについての調査を発案。住民と連携して地域課題の解決に取り組む広島大の「地域の元気応援プロジェクト」に応募し、採択された。教育学部造形芸術系コースの学生6人と担当の准教授の協力を得て、地域を回ってふすま絵などの写真を撮ったり、書籍を調べたりしてパネルにまとめた。ゆかりの地のマップも来年3月末までに作る。

 同委員会の免田洋子さん(61)は「飯室の3寺にあるふすま絵を初めて生で見ることができ、位里さんと地域の関わりの深さを感じた。平和を訴えた著名画家の存在を身近に感じてほしい」と話している。

丸木位里と俊夫妻
 水墨画家と油彩画家の2人は、東京での展覧会をきっかけに1941年7月に結婚した。45年8月6日の原爆投下を聞いて、数日後には広島に帰郷。2人が見た被爆直後の惨状を基に、30年以上かけて全15部作の絵画「原爆の図」を共同制作し、平和の尊さを訴え続けた。第1~14部は原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)に、第15部は長崎原爆資料館(長崎市)に所蔵されている。

(2021年12月24日朝刊掲載)

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