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広島世界平和ミッション スペイン編 熱い息吹 <2> イラク派兵 暴力の歴史教訓に撤退

 「イラク戦争をめぐって国民と政府の考えには、もともと大きな隔たりがあった」

 第三陣メンバーを前に、ラフな格好のジョルディ・アルマダンさん(35)は、言葉を選びながら言った。バルセロナ市内の「スペイン平和財団」の一室。事務局長の彼は、今年三月に起きたマドリードでの列車爆破テロが、直後にあった総選挙結果に決定的な影響を与えたとの見方に必ずしも同調しなかった。

全土でデモ■

 「確かに外国ではそうした報道が目立った。でもイラク開戦約一カ月前の昨年二月には、欧州でも最大規模の四百万の市民がスペイン全土で反戦デモに加わったんだよ」

 国民のほぼ十人に一人が参加した街頭行動こそ、米英両政府の立場を強力に支持していたアスナール国民党政権への抗議の意思表示でもあったというのだ。大きなデモは開戦後も続いた。

 だが、アスナール首相は世論を押し切る形で、九月には治安維持のために約千三百人の兵士をイラクに派遣した。その後、バグダッドでスペイン人外交官や情報機関員らが殺害され、派兵への批判は一段と高まった。

 そして起きた死者約二百人に達する列車爆破テロ―。直後の選挙で軍撤退を公約に掲げたサパテロ社会労働党新政権が誕生した。

 「それにしても…」。筑波大一年の花房加奈さん(19)が驚きを交えて尋ねた。「日本では政権を替えるどころか大規模なデモにもならない。スペイン人にこんな力があるのはどうしてですか」

 平和活動に十数年携わっているというアルマダンさんは「昔からそうだったわけではない」と説明する。「平和団体などが頑張っても、市民が動かない時期もあった」

 一九三九年に内戦が終わったスペインは、七五年までフランコ軍事独裁政権が続いた。「ここ数年、小さな市民運動の積み重ねでようやく人々はデモに慣れ、行動すれば世論で政府を動かせると感じてきた」と言う。

 米中枢同時テロ後に約一年間、米国の学校などで「ヒロシマ」を伝えるボランティア活動に従事した英国ブラッドフォード大大学院生の野上由美子さん(31)は、米国での自身の体験を思い浮かべながら問いかけた。

 「マドリードで悲惨なテロがあったのに、スペイン人はアメリカ人と違って武力による報復ではなく、なぜ軍撤退という道を選んだのですか?」

国に不信感■

 野上さんは米国で「武力でなければ、テロリストにどう対処するのか」と何度も質問された。そんなとき「やられたらやり返したくなるのは人間として当然と思うこともあった」と打ち明ける。

 アルマダンさんはしばらく考え、答えた。「スペインは長年、軍事独裁やETA(バスク祖国と自由)によるテロなどを経験し、暴力では何も解決しないと感じる社会的土壌ができていたと思う」

 アスナール政権はテロ直後、国内のテロ組織である「ETAの犯行」と断定した。イラクへ軍隊を派遣したために、国際テロ組織に狙われたとする関係を否定するためだ。だが、イスラム系の国際テロ組織であることがすぐに判明した。多くの国民のテロリストへの憤りは、前政権の「うそ」にも向けられた。

 バルセロナで軍縮関係の調査研究をしているキリスト教系団体「正義と平和」のティカ・フォント副会長(47)も、こう強調した。「今まで何十年もテロに苦しんだけれど、軍事予算を増やして軍を強化してもテロはなくならなかった」と。

 同席したスタッフのぺラ・オルテガさん(60)は、スペインで被爆の実態を伝えて回るメンバーに「私たちも内戦の経験をもっと世界に伝える重要さを感じています」と、その意義をかみしめるように言った。

(2004年10月18日朝刊掲載)

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