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連載・特集

広島世界平和ミッション スペイン編 熱い息吹 <3> 自国のテロ 根絶願い前向きに歩む

 四〇度近い炎天下、ミッション第三陣メンバーはマドリード市街にある「テロリズム犠牲者協会」を訪ねた。テロ被害者の相互扶助などを目的に、一九八一年に設立された非営利団体。二千五百家族が加わる。

 会長のフランシス・ホセさん(35)と副会長のマリア・ヘススさん(52)の出迎えを受け会議室へ。初めて会うテロ被害者を前に、一行の表情は心なしか硬かった。そんな彼らにヘススさんは笑顔を向け、自身の体験を語った。

 事件は九二年、マドリード南部郊外で起きた。当時警察職員だったヘススさんの運転する車に爆弾が仕掛けられて爆破。非合法組織「バスク祖国と自由」(ETA)による犯行だった。

悲しみ今も■

 爆発と同時に気を失った。入院二日目、意識が戻った彼女の右脚と右腕はすでになかった。担当医から、助手席にいた当時十二歳の娘が両手脚を失い、母親より重体だと知らされた。

 「もし命が助かっても、一生人を恨んで暮らすことになるでしょう。このまま亡くなった方がいいのでは…」。医師の言葉を耳にしたときのショックと悲しみは、今も消えない。

 被爆者の細川浩史さん(76)がヘススさんに尋ねた。「私はついこの前まで原爆の忌まわしい体験を記憶から消し去りたいと思っていました。あなたはどう乗り越えたのですか」

 「私は元来、否定的なことにエネルギーを使うのは自分をだめにすると考えていました」。周囲のテロ被害者や遺族の中には、恨みやつらさを忘れられずに自分を見失う人も多かった。「私はそんな被害者を助けるにはどうしたらいいかを考えるように努めて立ち直ったのです」とほほ笑む。

 英国ブラッドフォード大大学院の野上由美子さん(31)は、声を絞って問いかけた。「話を聞くだけで怒りやつらい思いでいっぱいになるのにどうして…」。ヘススさんは、途切れた言葉をくみとるように穏やかに答えた。「傷が深ければ深いほど、そこから脱出したいと願う気持ちも強くなるのかもしれません」

 子どもだった娘は怒り、絶望し、泣き続けた。そんな彼女にヘススさんは「一生泣いて恨むのも、一生明るく生きるのも同じ人生。今日生まれたと思えば、どっちがいいか考えてみて」と優しく声をかけた。

 黙って話を聞いていたホセさんが、卓上に三枚の写真を置いた。テロの犠牲になった弟と、めいに当たる姉の双子の子どもだ。八七年、姉の家族が住むサラゴサ市の警察官舎がETAに爆破された。姉や義兄も重症を負ったが、外出していたホセさんだけは助かった。

 「私は七年間、事件について話すことも、彼らの写真を見ることもできなかった」。そんなとき、ヘススさんから声をかけられた。「つらいけどそんなふうに口を閉ざし、恨み続けてもテロはなくならない」と。

資金源断つ■

 協会の調べでは、これまでにETAの犯行で九百三十六人が犠牲になったという。七五年の独裁政権崩壊後、政府は何度か平和的解決の道を求めて交渉の場を持ってきた。多くのバスク人からも支持を失ったETAは九八年、武力放棄を宣言したが、翌年には再び和平交渉を断ち切った。

 「テロリストには言葉は通じない」とホセさんは嘆く。だが「暴力に暴力では解決の道はいつまでも訪れない」と、協会ではバスク地方の企業などに対し、脅迫に屈して金を渡さないよう資金源を断つための取り組みを進めている。

 二人の娘を持つ胎内被爆者の石原智子さん(58)は、同じ母親としてヘススさんの生き方に深い共感を覚えた。別れ際、石原さんは心が洗われたように彼女に語りかけていた。「私たちにとって生きていることが一番の喜び。前向きに体験を伝えていきましょう」

(2004年10月19日朝刊掲載)

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