×

連載・特集

広島世界平和ミッション スペイン編 熱い息吹 <4> 列車爆破テロ 市民の日常を突然破壊

 三月十一日午前七時三十九分、新幹線や郊外線が集まるマドリードのターミナルであるアトーチャ駅に入ろうとした列車が爆発した。ほぼ同時にホームに停車中の列車も爆発。続いて南側のエルポソ駅で、さらに南のサンタエウヘニア駅で停車中の列車が相次いで爆発した。朝の通勤ラッシュを狙ったテロ。死者は約二百人、負傷者は千五百人を数えた。

 アトーチャ駅から約二十キロ南のベッドタウンにあるサンタエウヘニア駅。ミッション第三陣メンバーは駅構内のカフェに立ち寄り、店員のエミレアノ・サボナさん(23)に当時の様子を尋ねた。

 「とにかく爆発音より、悲鳴がすごかった。血だらけの人も多くて…。あの日を境に店に来なくなった顔なじみの客もいる」。サボナさんの口調は重かった。

大量の流血■

 負傷者の血を洗い流すため、店から何度も水を運んだ。「事件のことは早く忘れたいんだ」。彼はそう言って、他の客の相手に戻った。

 重苦しい空気に包まれたようにメンバーは、列車に乗り込んだ。爆発のつめ跡が残るエルポソ、そしてアトーチャ駅へ。「こんな何でもない日常の中で、突然命が奪われるなんてどんな気持ちだったろう…」。筑波大一年の花房加奈さん(19)はぽつりと言って列車の天井をじっと見つめた。

 市中心部のホテルには、アトーチャ駅で勤務中に左脚に大けがを負った警備員のホセ・ロドリゲスさん(38)と、エルポソ駅で通勤中の三十四歳の夫を亡くした主婦のエバ・キロンさん(35)が来てくれた。互いの紹介を終えると、ロドリゲスさんは事件の様子を生々しく話した。

 「駅に近づいてきた列車が爆発したので、ホームの乗客らを安全に誘導しようとしたら、今度は目前の列車が爆発したんだ」。飛んできた車両の破片が左脚に深く刺さり、大量の流血を見た。

 倒れたホームには負傷者があふれた。「悲鳴に交じって、周りでは肉親の安否を気遣う携帯電話が鳴り続けていた」。苦しみに耐えながら、ロドリゲスさんも自宅の妻に携帯電話で状況を伝えた。彼が担架で運ばれたのは一時間後だった。

 「運ばれながら、腕や脚がちぎれた人たちに助けを求められた。自分の脚の痛みより、助けられなかった心の痛みの方が大きかった」。屈強な体に沈痛な表情を浮かべる。松葉づえに頼る日々の暮らし。仮に肉体的に今以上に回復しても「もうあそこでは働けない」と言う。

 当時九カ月の娘を残して夫を奪われたキロンさんは、心の傷が癒えぬように終始寡黙だった。ただ話がテロの実行者に及んだとき、彼女は怒りを交えて言った。

 「国民の九割がイラク戦争に反対していたのに、アスナール前政権は強引に支持してイラクに派兵した」。そのためにスペインは世界中から米国の行動を賛成しているように見られたというのだ。「派兵していなければ、アルカイダ系のテロリストに狙われることもなかったでしょう」

心の傷なお■

 キロンさんと同じ思いを抱くロドリゲスさんの胸中にも怒りや悲しみがうずく。「もう普通には歩けないし、息子とサッカーもできない。本当はつらいことだらけだ」。体力は回復しつつあるが、ここ一カ月は精神科に通っているという。

 そして、あのとき現場から妻に携帯電話をかけたことを今でも悔やむ。「悲鳴やらうめきを音だけで体験してしまった妻は、毎晩うなされるようになってしまって…」

 ロドリゲスさんは最後に被爆者の細川浩史さん(76)の「米国を憎んでも死んだ妹は戻らない」という言葉を引き合いに出して言った。「テロリストを憎んでも復讐(ふくしゅう)しても、元の生活は戻らない」と。

 メンバーは慰めの言葉もなく、みんなで折った折り鶴を二人に手渡した。

(2004年10月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ