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社説・コラム

天風録 『「セノハチ」令和の脱線事故』

 家に帰るや雑囊(ざつのう)を放って線路端へ走る。悪童連を誘い、上りの後押し蒸気機関車をはやし立てるのである―。郷土史の冊子「瀬野に機関庫があった」に大正生まれの老翁が思い出を寄せている▲JR山陽線瀬野駅から八本松駅に向かう急勾配を越えるため、瀬野駅に通称「機関庫」が置かれたのは明治の世。機関助士が懸命に石炭をくべると、たき口からまばゆい火がのぞき、動輪は重々しくきしむ―。からかい半分の悪童連も、本心では「後押し」の底力に驚いたという▲「セノハチ」と呼ばれる難所で、令和の世に貨物列車の脱線事故が起きた。帰省ラッシュと重なり、予想外の混乱である▲くだんの冊子はセノハチの重大事故も書き留めている。戦時中には上りで貨物列車同士の追突・脱線事故が起き、「後押し」の機関助士が即死した。下りの軍馬輸送列車が速度を落とせず追突・転覆したことも。こちらは戦後、裁判ざたになり、再発防止の手が打たれたと伝わる▲セノハチの難しさ、恐ろしさは慣れるほどに分かってくると、ある機関助士OBは冊子に寄せた。SLの記憶が遠のいても変わるまい。ともあれ、きょう運転再開なら、多くの人が胸をなで下ろす。

(2021年12月31日朝刊掲載)

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