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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 吉村時彦 沖縄本土復帰50年

誰もが祝える節目なのか

 今年は沖縄の本土復帰50年の節目に当たる。日本の敗戦に伴い27年間も米国の施政権下に置かれた沖縄の復帰は、山口県田布施町出身の佐藤栄作首相(当時)が「復帰なくして戦後は終わらない」と表現した国民の悲願だった。復帰から半世紀を迎える沖縄を歩いた。

 名護市辺野古の米軍新基地建設現場は沖縄本島中部の東海岸にある。政府が宜野湾市にある米軍普天間飛行場の代替施設だと強調し、米軍キャンプ・シュワブ沖合の海域を3年前から埋め立てている。

 辺野古が見渡せる高台に上ると、青々とした海域と巨大な台船が目に入った。全長141メートルもある。所有する深田サルベージ建設は岩国市柱島沖で沈没した戦艦陸奥を引き揚げ、東シナ海に眠る戦艦大和の潜水調査もした呉市ゆかりの会社である。戦争の惨禍を知る企業も辺野古に関わっているのが現実だ。

 現場の海域はマヨネーズのように軟らかい地盤が水面下90メートルにも達する。国内では70メートルまでしか地盤強化の工事実績はないのに7万本以上の砂くいを打って埋め立てを強行するという。海域に生息する貴重なサンゴやジュゴンは埋め立て後は姿を消してしまうと危惧されている。

 投入される土砂は沖縄戦で多くの住民や兵士が亡くなった南部のものも使われることが明らかになった。激戦地の土中に混じる遺骨が新基地に埋められて安らかに眠れるはずがない。

 工事は既に2022年度完成予定が30年代にずれ込み、工費も当初の3500億円が9300億円に増えている。時間も費用もさらに膨らむ見込みだ。

 19年の沖縄県民投票では7割が新基地建設に反対した。玉城デニー知事は地盤改良工事を拒む判断も示した。米シンクタンクの戦略国際問題研究所も「完成する可能性は低そうだ」としている。それでも政府が工事を止めないのはなぜだろうか。

■負担むしろ重く

 新基地反対運動に取り組む沖縄平和運動センター顧問の山城博治さんは「ダンプが土砂を1回運び込むと10万円」と吐き捨てる。「新基地建設をめぐる利権のカネが地域を分断してしまった」と憤りを隠さない。

 辺野古での当初計画はヘリポート建設だった。それがV字形の2本の滑走路になり、普天間飛行場にはない、強襲揚陸艦が利用できる岸壁も設けられる計画に変質している。

 今月には地元の名護市長選がある。秋には知事選が控える。新基地推進派が勝利すれば、周辺の演習場や弾薬庫と一体化した滑走路の拡大などさらなる機能強化が進むとみる専門家もいる。日本全土に占める面積がわずか0・6%の沖縄に今も米軍専用施設の70・3%が集中している。沖縄の負担が軽減どころかむしろ重くなることは決して許されない。

 辺野古から南西へ50キロ余り。ラムズフェルド元米国防長官が「世界で最も危険な空港」と呼んだ普天間飛行場に向かった。

 飛行場は宜野湾市の中心部、市域の4分の1を占有している。境界まで家屋が立ち並び、小学校ともフェンス1枚で隔てられているだけだ。敷地は9割近くが民有地。米軍が強制的に住民を追い出し、飛行場を造ったからにほかならない。

 沖縄戦の激戦地の一つで、普天間飛行場が見渡せる嘉数(かかず)の丘で、市教育委員の桃原修さんに話を聞いた。飛行場に隣接する普天間第2小の校長も務めた教育者だ。第2小の校庭には4年前に米軍ヘリが7キロの窓枠を落としたこともある。米軍機が行き交うたびに子どもを避難させる日々だったという。

 米軍ヘリがごう音を立てながら上空を通過するたびに話が遮られた。機上で機関銃のようなものを構える兵士も見えた。「日本の安全を守る」はずの米軍が市街地に銃を構えているのが沖縄なのだ。

■地位協定が壁に

 普天間飛行場の返還は1995年の米兵3人による少女暴行事件をきっかけに日米合意された。橋本龍太郎首相(当時)は「5~7年以内」としていたが25年以上が既に過ぎている。

 桃原さんは「返還合意を喜んでいたら(辺野古へ)移設という話が後から出てきた。普天間は一刻も早く閉鎖すべきで辺野古とは別の問題だ」と言う。

 米施政権下の沖縄には米軍岩国基地など日本国内から部隊や装備が次々に移されてきた。

 72年の復帰時には沖縄の人たちは基地負担も「本土並み」になることを信じていた。だが国内での分担が政府の思うように進むはずもない。

 普天間を巡る日米合意後に機能が県外に移されたのは、米軍岩国基地が受け入れた空中給油機15機が唯一の例だ。多くの自治体は沖縄の心情は理解しながらも二の足を踏んでいる。

 なぜか。その最大の理由は日米地位協定だろう。協定はそもそも在日米軍人の人権保護が目的の一つだ。だが現実には米軍に「治外法権」を与える免罪符のような存在になっている。

 普天間近くの沖縄国際大に米軍ヘリが墜落した2004年の事故では日本の警察は検分もままらなかった。岩国基地の軍属が10年に死亡事故を起こした時も地位協定を理由に日本側の処罰を免れ、批判が強まった。

 日米同盟が安全保障の基軸と政府が言うのであれば、とりわけ米軍専用施設が集中する沖縄の人たちが納得できるものに改めなくてはなるまい。地位協定を見直し、沖縄の本土復帰50年を誰もが祝えるような節目にする努力が必要ではないか。

 防衛力強化を名目に、政府は沖縄の民意に背を向け、美しいサンゴの海を壊し、地域振興という名目のカネで地域を分断しようとしている。それが沖縄復帰50年の帰結だとすれば、あまりに悲しい。

(2022年1月1日朝刊掲載)

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