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被爆前の広島経済 克明に 沼田鈴子さん遺品に大量の「逓信萬報」

父創業 街の風情も紹介

 昭和初期の1929~42年に発行された郵政業界紙「逓信萬報(まんぽう)」の紙面が、被爆アオギリの下で証言を続けた沼田鈴子さん(2011年に87歳で死去)の遺品として大量に保管されている。原爆で壊滅する前の広島の街の風情や、地元経済界の動きを克明に記録した郷土資料だ。(桑島美帆)

 「広島第一のモダン建築が出来上がったら大変な人気だ」―。広島逓信局が現在の広島市中区東白島町に完成したことを報じる33年4月1日付記事。岡山市民による建築反対運動や、施工業者が藤田組に決まるまでの曲折を明かす。

 芸備銀行、広島瓦斯(ガス)電軌、千福など、地場企業からお祝いの広告も並ぶ。4月11日付の次号では「通信館」「ラヂオ館」の写真とともに、新庁舎を一般開放した展覧会のにぎわいを紹介している。

 逓信萬報は、沼田さんの父秀玉さん(56年に70歳で死去)が29年3月に段原町(現南区)の自宅で創業した。毎月1~3回発行のタブロイド判。通常4ページだが、新春号は16ページ。創刊5周年の34年3月1日付コラムは、発行部数が当初の千部から3万部に増え「北は樺太より南は台湾、西は朝鮮満州(現中国東北部)に及ぶようになった」と誇らしげだ。

 各地の放送局開設、国際郵便の出し方といった記事とともに、地場大手の株主総会や人事情報も充実。金座街の「名井屋喫茶店」、新天地の「永井百貨店」などのルポも扱っている。

 しかし、41年12月に太平洋戦争が開戦。数日後には「国策遂行に重大な影響を及ぼす恐れ」がある新聞事業を廃止できる「新聞事業令」が国家総動員法に基づき施行されるなど、報道統制は強化された。戦費調達のため、貯金や簡易保険の加入を求める記事と広告が一層目立つように。42年6月末、逓信萬報は「国策に順応して」廃刊した。

 秀玉さんの孫の良平さん(69)=東区=が沼田さんの遺品を整理した際、新聞の束を見つけた。郵政博物館(東京)の所蔵はわずかで、菊池牧子学芸員は「放送、航空、鉄道など内容も豊富。非常に貴重」と分析。広島県立文書館の西向宏介主任研究員も「戦前の新聞は、原爆で多くが焼失した。広島の近代史研究に活用できる」と評価する。良平さんが近く両館へ寄贈する。

(2022年1月3日朝刊掲載)

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