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連載・特集

緑地帯 片山杜秀 音楽とヒロシマと私①

 今日からバイオリンの先生が来るのよ! 母の声が弾む。時は昭和元禄と呼ばれた1960年代後半。高度成長期だ。父は和歌山、母は仙台の出身。東京で結婚した。平凡なサラリーマン家庭。団地住まいから背伸びし、東京郊外に小さな一戸建てを買ったばかり。私は近所の幼稚園に通っている。

 はて、その頃の中産階級のステータス・シンボルとは何だったか。子供のお稽古事である。ピアノが良い。でも高価だ。場所も取る。手が届かぬとしたら、次候補はバイオリン。とにかくクラシック音楽である。モーツァルトやベートーベンを弾ける子になってほしい。それこそ家に余裕があることの証明だ。母はどこかのお母さんと張り合っていたのだろう。新聞か何かでバイオリンの家庭教師の広告を探したのだ。

 やってきたのは若くて情熱的な女性。現役の音大生だ。土井先生と言った。楽器にさわる。これが弦、ここが駒、調弦はこうやって。説明されて、ひたすら感心。

 練習は、楽器を顎と左肩でしっかり挟むことから始まる。首が痛い。ひたすら我慢。ようやくできたら、弓を持ち、弦をこすってみる。音が出る。何だかうれしい。そうやって毎週、レッスンを受けた。でも不器用なのである。やる気にも乏しい。先生は手を焼かれたはずだ。けれど、見捨てずに、何年か付き合ってくれた。そして、別れの時が来た。故郷で仕事が見つかったという。

 先生は広島の人だった。広島交響楽団に入った。長く活躍されたはずである。(かたやま・もりひで 政治学者、三原・ポポロ館長=茨城県)

(2022年1月6日朝刊掲載)

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