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連載・特集

ヒロシマの空白 証しを残す 惨禍の記録 <5> 胡子神社

焦土の仮社殿 伝統紡ぐ

 爆心地から約850メートルの広島市胡町(現中区)。呉服問屋の小田政商店の店舗兼倉庫があめのように曲がった鉄骨をさらす横にバラックが立つ。簡素な造りだが、幕で飾られ、中には太鼓も見える。1945年秋、焼け跡に再建された胡子神社の仮社殿だ。

 撮影者は、今も神社近くにある百貨店福屋の元社員の林寿麿(かずま)さん(79年に84歳で死去)。被爆から間もない時期に姿を見せた仮社殿は「見渡すかぎり焼土の中に、ポツンと建ったので鮮かな印象を受けた」(71年刊の「広島原爆戦災誌」)という。

復興への支えに

 商売の神様として信仰を集める胡子神社の創建は1603年とされる。近くで育った牧野ミヤ子さん(87)=廿日市市=は毎年11月にある胡子大祭の戦前のにぎわいを懐かしむ。「縁起物の熊手屋さんが道にずらーっと並び、行き交う人の頭しか見えないほどの人出でした」。神社では毎週土曜に子ども会が開かれ、地域の交流の場でもあった。

 胡町には40年時点で衣類関係を中心に約80店があったとされるが、原爆投下で神社もろとも壊滅した。それでも助かった町民有志が焼け跡を片付けてバラックを建て、被爆3カ月後の45年11月も大祭を営んだ。仮の社殿でも復興を目指す町民の支えとなった。

 原爆で両親を亡くした後、祖母らと神社近くのバラックで1年ほど暮らした牧野さんは「神社で歌や踊りがある演芸会のようなものがあり、見に行きました」と思い起こす。

コロナ禍も大祭

 社殿は49年に新築され、その後鉄筋コンクリートで建て替えられた。大祭は新型コロナウイルス禍に見舞われた過去2年も感染対策を講じて開かれた。2022年は420回目の節目。写真に姿を残す仮社殿は、惨禍の中でも伝統をつないだ市民の復興への努力を今に伝えている。(水川恭輔)

(2022年1月7日朝刊掲載)

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