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社説・コラム

『潮流』 アナキズムと平和

■論説委員 森田裕美

 日本語で「無政府主義」と訳される「アナキズム」を意識するようになったのは、栗原唯一(ただいち)(1980年に73歳で死去)という人を知ってからだ。原爆詩人として知られる故・栗原貞子の歩みを、7年前に取材していて出合ったのが、アナキストの唯一だった。

 貞子が親の反対を押し切って結婚した相手である。2人は戦中の言論統制下も秘匿した書に読みふけり、反戦、反権力の志を育む。被爆から半年後には「原子爆弾特集号」と銘打つ雑誌「中国文化」を創刊し、いち早く惨状を伝えもした。

 足跡を追う中で理解に苦しんだのが、後に唯一が選挙に出て広島県議などを務めたことだ。無政府主義者が政治に関わるとは…。国家転覆や体制破壊を謀る人―といった先入観があったためだろう。だがそれは狭い理解であったと、最近になって気付かされた。

 近年、学術や運動の枠を超え、アナキズムを論じた一般向けの本が相次ぎ出版され、注目を集めている。それらによれば、アナキズムの語源はアナーキー、つまり「あらゆる支配のない状態」であり、そのために展開される多様な思考や態度を総称したものという。

 国家に限らず大企業や制度といった権力による強制や暴力に向き合い、現状を変えようとする立場がアナキストだとすれば、唯一の行動に矛盾はない。むしろ「平和」と親和性が高い。

 とうにそれを説いていた人がいた。4年前に亡くなった歴史家戸田三三冬(みさと)さんだ。おととし刊行された遺稿集「平和学と歴史学」に、「平和の方法としてのアナキズム」と題した論考があった。こう記す。

 ほんとうの平和は、支配・搾取のない社会関係において、はじめて保障される―。それはまさに、平和学でいうところの「積極的平和」である。ことしは、アナキズムから平和を考える年にする。

(2022年1月8日朝刊掲載)

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