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連載・特集

緑地帯 片山杜秀 音楽とヒロシマと私③

 「瀬戸の小島に、はばたく子らが」。1959年の大映映画「海軍兵学校物語 あゝ江田島」の主題歌の歌い出しである。戦後14年。岸信介内閣の頃。2年前には新東宝映画「明治天皇と日露大戦争」が歴史的ヒットとなり、反戦よりも懐古調のどこかナショナリスティックな戦争映画が多く作られ始めた時代の映画主題歌だ。

 その歌の映画での使われ方が印象深い。「あゝ江田島」は戦後の平和な江田島から始まる。過酷な戦争を生き残った元海軍士官が、兵学校生徒になじみ深い古鷹山に登り、真昼の瀬戸内を望む。すると、急に怪談映画のようになる。一天にわかにかき曇り、薄暗くなり風が吹き、あたりの草陰から、戦死したはずの戦友たちが大勢、白い軍服姿でわいてくる。

 そこに大音量で主題歌がかぶる。勇壮な軍歌調だ。57年の松竹映画、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌と、調子が似る。「おいら岬の灯台守は」と歌い始める、あの歌だ。それもそのはず。作曲家が同じ。木下恵介の弟の木下忠司さんである。

 木下さんとその話をしたことがある。「ぼくは音楽学校を出たら、すぐ兵隊にとられ、陸軍の船舶隊に配属されて、瀬戸内海を船で行き来していた。だから灯台も江田島もよく知っていて、ああいう勇ましい歌がすぐ作れたんだなあ」

 東京の半蔵門のそば屋で日本酒をのみながら、木下さんは言った。そして即座にこう付け加えた。「でも、灯台守はともかく、軍歌はやっぱり歌わない方がいいね」。お酒よりも胃の腑(ふ)に染みた。(政治学者、三原・ポポロ館長=茨城県)

(2022年1月8日朝刊掲載)

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