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広島一中 353人の最期 原爆犠牲者 追悼第3集 手記募る

 原爆の犠牲になった広島県立広島第一中学校(現国泰寺高)の生徒らの追悼集づくりが進んでいる。同級生の多くを失った、卒業生の浜田平太郎さん(83)=広島市西区=が、原爆投下の翌年に出された広島初の被爆手記集「泉―みたまの前に捧(ささ)ぐる」の続編として、来年8月6日の発行を目指している。

 浜田さんは当時は3年生。高熱が出て建物疎開作業を休み、助かったが、作業などをしていた級友42人は亡くなった。同級生を追悼しようと、「泉」の編集にかかわった。さらに「生き残った者の義務として、級友の最期を伝えたい」と自ら調べて、昨年、第2集を発行した。

 それを読んだ遺族らから反響が寄せられ、第3集制作に乗り出した。原爆で亡くなった353人の一中の生徒全員に対象を広げ、遺族や友人らの手記を募っている。「泉」と同様、同級生と同じ工場に動員されていた県立広島第一高等女学校(現皆実高)の原爆犠牲者の関係者にも手記を依頼した。浜田さんも、妹が第一県女の1年生で被爆死した。

 現在、約20人の同級生や遺族から手記などが寄せられている。同級生の一人は「命をとりとめた生徒たちは、一様に頭髪が抜け落ち、蒼白(そうはく)な顔色をしていたのが、今でも強い印象として私の記憶の中に残っている」とつづっている。

 浜田さんは「原爆がいかに悪魔の兵器か、できるだけ多くの人に書き残してほしい」と話している。追悼文は12月末まで募る。浜田さんTel082(271)8072。(増田咲子)

「泉―みたまの前に捧(ささ)ぐる」
 1946年8月1日に発行された広島初の被爆手記集。わら半紙にガリ版刷り、B5判、67ページ。広島県立広島第一中学校(現国泰寺高)と県立広島第一高等女学校(現皆実高)の生徒ら39人が、建物疎開作業に出るなどで42人が原爆の犠牲になった一中35学級(3年5組)の生徒らを追悼して寄稿した。2校の生徒は、今の広島市西区高須にあった同じ航空機部品工場に動員されていた。第2集は、35学級の生き残りで「泉」の編集メンバーだった浜田平太郎さん(西区)が級友の最期を調べ、2012年に発行した。

(2013年9月23日朝刊掲載)

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