×

連載・特集

広島世界平和ミッション スペイン編 熱い息吹 <5> 3・11犠牲者協会 家族支援へ若者が結束

 午後九時。七月下旬のマドリードの空は、まだ明るかった。ミッション第三陣メンバーは「3・11アトーチャ・テロリズム犠牲者協会」の青年たちとアトーチャ駅正面に立った。

 昼間、市内のホテルで列車爆破テロ被害者(38)らから当時の惨状を聞いていただけに、厳粛な思いが自然とわき上がる。被害者は事件から四カ月以上がたっても、精神的苦痛の大きさ故に現場に近寄ることすらできないのだ。

 ホームに向かうエスカレーターを降りると、追悼コーナーがあった。テロに抗議し平和を祈る追悼デモや、直後に駅周辺を埋めた花やキャンドルの映像が大画面に映し出される。「ここで自分のメッセージを打ち込むんだ」。世話人のカルロス・ロドリゲスさん(25)が操作盤に触れて説明する。

上司を失う■

 車販売の仕事をしているロドリゲスさんは、3・11テロで上司を失った。仲間の若者を誘って協会を発足させ、犠牲者の家族を支える。現在、協会には被害者と犠牲者の遺族三十五家族を含め約二千人の会員がいる。

 そばにいたイラン出身のコンピュータープログラマー、モハマド・アリ・サダトさん(27)は、事件のあった同じ時間に、アトーチャ駅を通るはずだったと振り返る。

 「午前中、私用で仕事を休んだら、バルセロナの友人から携帯電話に『君は大丈夫か?』ってメールが入った。変なメールだと思って『なんだい? 元気だよ』と返信したんだ」

 その直後、会社からの電話でテロを知ったという。「普通に出勤していたら自分も死んでいたかもしれない」。母国では子どものころ、イラン・イラク戦争が続いていた。「戦争やテロという暴力に黙っていられない。何かしなくては」と思い、協会のメンバーに加わった。

 自営のたばこ店を手伝うアリシア・フライエさん(25)も、人なつこい笑顔を向けて言った。「私はベッドの上でテレビを見ていてニュースで知ったの。すぐ駅に行ったら、携帯電話の着信音や泣きわめく人でとにかく大パニックだった」

 被爆二、三世たちの協力を得ながら平和学習講師を続ける胎内被爆者の石原智子さん(58)は、彼らの話に「そんなふうに若い世代が結束して立ち上がったなんて素晴らしい」と励ましの言葉をかけた。

 ロドリゲスさんは「今、自分たちが動かないと明日のスペインはどうなるんだと思っただけ。集まってみたら若い世代だったんだ」と気負わずに応えた。

 筑波大一年の花房加奈さん(19)は、周りの日本の若者を思った。「日本にいたら、平和活動への参加は特別な感じ。ここでは自然にできるところがすごい。やはり平和について、自分の問題として身近に感じることが大切なんですね」

「無知は罪」■

 「私だって広島の名前は知っていたけれど、今日あなたたちから直接話を聞いて、初めて原爆の恐ろしさを実感できたのよ」とフライエさん。スペインには「無知でいるのが幸せ」ということわざがあるという。「でも私はそれはうそだと思う。無知でいるのは罪よ」と彼女は語気を強めた。

 ロドリゲスさんはうなずきながら言った。「世界にあるさまざまな暴力の犠牲について話を聞いたり学んだりして、若い世代がその意味を理解し合うことが、これからの世界平和のために重要だと思わないかい」

 英国ブラッドフォード大大学院の野上由美子さん(31)は彼らと別れてすぐ、その一人に電子メールを送った。米中枢同時テロ後に、アフガニスタンへの報復攻撃に反対する米国の犠牲者の遺族たちが結成した「ピースフル・トゥモローズ」の存在についてだ。情報交換を通じて彼らともっと連携できるに違いない。

 「これからも連絡を取り合いましょう」。こうメールを締めくくった。

(2004年10月21日朝刊掲載) 

年別アーカイブ