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連載・特集

広島世界平和ミッション スペイン編 熱い息吹 <6> フォーラム 予想上回る反響を実感

 「フォーラム・バルセロナ2004」の会場は、バルセロナ市街中心部から車で約二十分の海に面した新開発地区にあった。

 国際的な「対話」の舞台として、異文化交流や平和などをテーマにバルセロナ市、カタルーニャ州自治政府、スペイン政府が主催し、非政府組織(NGO)などが運営に加わっていた。

 第三陣メンバーは、これまで行く先々で被爆の実態を伝えてきた。しかしイベント会場での取り組みは初めてだ。与えられた一時間ほどの中で、どれだけ有効に「ヒロシマ」を伝えることができるか。交流の合間をぬって、本番四日前には会場の下見までした。

準備に工夫■

 広大な敷地に配置された色とりどりのブース、パビリオン、巨大なテント、花や虫をかたどった遊具―。見ているだけで楽しい気分になる。まるで万博会場のようだ。

 「こんな明るい雰囲気の中で、原爆の重苦しい話をして果たしてスペインの人たちは集まってくれるだろうか」。被爆者の細川浩史さん(76)が、思わず不安を口にした。他のメンバーも同じ思いだった。

 「先に帰国した山田(裕基)君の分まで頑張ろう」。そう話していた四人は知恵を絞った。「巡回バスで宣伝のアナウンスをしてもらえるように交渉しよう」「折り鶴を一緒に折ったらどうだろう…」

 発表の場となった「スピーカーズ・コーナー」。本番当日、早めに着いた英国ブラッドフォード大大学院生の野上由美子さん(31)と筑波大一年の花房加奈さん(19)は、早速、チラシを持って近くにブースを開いているNGO関係者や入場客に、声をかけて回った。

 胎内被爆者の石原智子さん(58)は、焦土と化した広島や、熱線で大やけどを負った長崎の被爆者らの原爆写真ポスターをステージ背後のパネルに張りつけた。細川さんはまだ不安そうな表情を浮かべていた。

 だが、不安はすぐに吹き飛んだ。発表時には約三百五十人がステージを取り囲んでいたのだ。

 司会者との掛け合い形式で始まった。「若い世代がどうしてミッションに参加しようと思ったの?」と尋ねられた花房さんは、おくせず答えた。「小さいころから被爆体験を聞いて育ち、人が傷つく戦争は止めなくてはいけないと思っていました。平和のために働けるよう、もっと経験を積みたかったから」と。

 すでに訪問した仏英二カ国の印象を問われた野上さんは「フランスではイラク戦争に反対しても核兵器は何かのときに必要だという人が多くてショックでした。逆に英国では市民が盛んに平和活動をしているのに、政府がなぜ核兵器を手放そうとしないのか疑問だった」と、率直な思いを伝えた。

 細川さんと石原さんが被災写真を示しながら原爆被害について語り、「同じ過ちを二度と繰り返してはなりません」と訴えると、大きな拍手がわき起こった。

折り紙配る■

 続いて石原さんが、二歳で被爆し、十年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが入院中に折り続けた折り鶴について説明。花房さんと野上さんが折り紙を配って客席を歩き、聴衆に折り方を教えた。

 被爆体験を聞き、ずっと涙していたフォーラムスタッフのカルメン・マラガさん(27)が終了後、メンバーに近づき、片言の日本語で話しかけてきた。「どうして人間は、こんな悲しいことをするの。心が痛いです…」

 細川さんは、現地メディアから何度もインタビューの声がかかった。「予想以上に多くの人が耳を傾け、反応してくれているのが伝わってきた。メンバーが一つになって訴えた平和への願いはきっと届いたと思う」。安堵(あんど)の表情を浮かべたその額には、大粒の汗が光っていた。(文・森田裕美 写真・田中慎二)=スペイン編おわり

(2004年10月22日朝刊掲載)

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