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連載・特集

広島世界平和ミッション ロシア編 冷戦の航跡 <1> ニエット 原潜解体工場 視察に壁

 広島世界平和ミッション第四陣メンバーは次の通り。(敬称略)
 被爆者 森下弘(74)=広島市佐伯区▽ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト世話人副代表 小畠知恵子(52)=同市中区▽広島大大学院生 アンナ・シピローワ(28)=ロシア・ハバロフスク市出身

 広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第四陣は十月五日から約五週間、ロシア、ウクライナ、ボスニア・ヘルツェゴビナの三カ国を巡った。最初に訪ねた核大国ロシアは今、自らが造り出した膨大な核兵器体系の重荷にあえいでいる。とりわけ退役原子力潜水艦の解体は、海洋汚染防止のためにも急務だ。メンバー四人は、被爆実態を伝えるとともに、世界の海を徘徊(はいかい)しながらロシアの核戦略を支えてきた原潜の解体を通して「冷戦の航跡」をたどった。(文・岡田浩一 写真・野地俊治)

 一行は極東の軍港ウラジオストクへ第一歩をしるした。約百キロ東のズベズダ工場を訪ねるためだ。ここでは日本の資金援助で攻撃型原潜の解体事業が、九月に終わったばかりだった。

 事前にロシア連邦軍参謀本部、海軍本部から工場視察の許可は得ていた。メンバーは工場視察を翌日に控え、地元の沿海州地方府に出向いた。ところが…。

 「ニエット(だめです)」。机の向こうに居並ぶ同地方府の代表六人は首を横に振った。視察は認められないという。

 理由はこうだ。立ち入り申請は四十五日前までにする必要があり、その窓口は唯一、日本の外務省だというのである。

 同地方府産業委員会のスタルチェンコ・ビクトル委員長(47)は「工場では軍の艦船修理などをしており、手続きに時間がかかる。ルールに従えばだれでも見られる」とあいそ笑いを浮かべた。

うその説明■

 が、それはうそだった。私たちが申請したのは八月中旬。時間はあった。帰国後、日本外務省に再度確認したが、外務省が唯一の窓口ではない。しかも、軍関係の許可はすでにロシアの通信社ノーボスチの協力で取り付けていたのだ。日本の一般市民に見せたくないのはみえみえだった。

 日本は原潜解体に八億円近くを提供している。ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト副代表の小畠知恵子さん(52)が「解体の最終的なスポンサーは納税者の私たちよ。どうして見られないの」と詰め寄った。

 小畠さんは旧ソ連の核実験場周辺の被曝(ひばく)者らを支援する市民団体の活動家。「相手がだれでも、言うべきことは言わせてもらうわよ」との気迫漂うミッション第四陣の「切り込み隊長」である。

 だが、ビクトルさんは「ルールだから。テロ対策で安全管理も厳しくなってることだし…」と、官僚答弁を繰り返した。

安全性強調■

 事業概要についても満足いく説明はなかった。原潜は解体後、原子炉搭載部周辺を樽(たる)のように溶接して海上に浮かべて保管する。陸上の保管施設がないからだ。船体の腐食などによる放射能漏れの懸念は強い。その点を問うと、「定期的に点検している。保管場所のわきで釣りができるよ」とビクトルさん。

 原潜から抜き取った使用済み核燃料は、シベリア鉄道で南ウラルにあるマヤーク核施設に運ばれる。「旅客列車の事故は危険性があるが、核燃料は国際原子力機関(IAEA)の基準に沿う方法で運ぶから百パーセント安全だ」

 被爆者の森下弘さん(74)が「IAEAの基準が完ぺきとは言えないでしょう」と反論すると、ビクトルさんは「尊敬する被爆者の助言としてお聞きします」とかわした。

 小畠さんが怒りを抑えかねるように言った。「核兵器はその被害の大きさのあまり、使えない武器だということは広島、長崎の体験で証明されていたはず。そんなものをなぜロシアは、自分で処理できないほど造ったのか」

 ビクトルさんの顔がぱっと赤くなった。「時代は変わったのだ。金がかかっても、世界の協力で核兵器を解体する以外に選択の余地はない」。その響きはまるで今はやりの「逆ギレ」だった。

(2004年12月2日朝刊掲載)

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