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広島世界平和ミッション ロシア編 冷戦の航跡 <7> 悪循環 汚染除去も核施設頼み

 ミッション第四陣メンバーは、キィシュティム市から、マヤーク核施設南二十五キロにあるアルガヤッシュ村の放射線観測ポイントも訪ねた。うっすらと雪に覆われた原野の一軒家の庭先に、大気中の放射性降下物量などを測る観測機器が設置されていた。

 近くに住む女性三人が交代で二十四時間詰めている。雪深くなるとスキー通勤するという。

 一人の観測員(57)が「一九五七年に起きたマヤークでの爆発事故の後始末に駆り出された人で、がんなどの病にかかった人が村にたくさんいた」と打ち明けた。

避難訓練も■

 放射線の放出異常を察知するため、マヤーク周辺には現在、観測ポイントが四十二カ所ある。チェリャビンスク州気象局が管理し、放射線の計測値結果は州の公共機関などを通じて報告している。州内の学校や企業では、核施設事故を想定して毎年二回、一斉に避難訓練も実施している。

 州人口は百五万人。工業が発達し、海外企業の進出も目立つ。チェリャビンスク市の中心部にはオペラ劇場や商店が並び、工場のばい煙と都会の文化の薫りが交じる。

 その中心部に事務所を構える州政府放射線環境安全局のメルニコフ・ウラジーミル局長(43)を訪ねた。

 ウラジーミルさんによると、ロシア政府認定の州内在住被曝(ひばく)者は二万三千四百二十六人。大半が核施設関連の被曝者だが、四千五百六十七人はチェルノブイリ原発事故後の作業に従事して被曝した。彼もその一人。八七―九三年に現地で作業していた際に、秘密にされてきた古里の核汚染を知ったという。

 州の対策は被曝者のための病院や住宅建設のほかに、放射能汚染地区二万三千平方キロに及ぶ農地などの除染改良工事である。年間予算は千二百七十万ルーブル(約四千七百万円)。マヤークから千五百万ルーブル(約五千五百万円)の補助を受ける。「過去の核被害を克服するには、核施設を止められない」とウラジーミルさん。

 ソ連初の軍事用プルトニウム製造から始まった核開発で被った地元の犠牲と環境汚染の代価を「核のごみ」を受け入れることでしか支払えない。

 ウラジーミルさんは「核施設の新たな役割を地元住民は納得していない。でも、国の決定には逆らえない」と淡々と答え、さらに言葉を継いだ。「私は核兵器の存在に非常に否定的です。住民は広島・長崎を繰り返さないために、核軍縮で出る余剰核物質などを受け入れる道を選んだのです」

長い道のり■

 訪問後、被爆者の森下弘さん(74)は「私たち被爆者の医療保障は戦後十年たってやっとできた。チェリャビンスクなどロシアでは、さらに長い道のりがかかりそうだ」と表情を曇らせた。

 小型バスに乗り込んだハバロフスク出身の広島大大学院生のアンナ・シピローワさん(28)が、よみがえった幼いころの記憶を口にした。「私のおじさんね、徴兵されてこの辺りにいたらしい。三十三歳でがんで死んだ。母は『あそこらには核兵器があるから』と言っていた。今度、帰省したら詳しく聞いてみたい」

 マヤークの名は知っていた。「でも、周辺の暮らしぶりがこんなに悲惨だなんて…。住民の知識が浅いのも怖い」。母国の核開発による自国民の犠牲が、シピローワさんの胸に初めて現実として迫ってきた。

(2004年12月10日朝刊掲載)

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