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連載・特集

緑地帯 片山杜秀 音楽とヒロシマと私⑧

 伊福部昭は既に戦前、日本を代表するクラシック音楽の作曲家だった。戦後は映画音楽を多く手掛け、とりわけ「ゴジラ」は有名だ。

 そんな伊福部は被曝(ひばく)者でもある。敗戦まで音楽家と技術者の二足の草鞋(わらじ)を履き、戦争中は木製飛行機製造のための強化木材の開発に従事し、研究に放射線を用いて被曝。1年間、寝たきりになった。

 作曲家は臥(ふ)せりながら、バイオリン協奏曲を書き始めた。全3楽章。真ん中の遅い楽章は、被曝したおのれの嘆きの歌。ド・シ・ラと下がる三つの音程を行き来する、素朴なメロディーに結晶した。

 初演は1948年に東京で。だが、単純を極めたスタイルを、芸がなさすぎると批判された。伊福部は傷つき、作品を撤回した。協奏曲の肝だった、放射能に苦しめられる人間の哀歌は、放射能に絡む映画音楽に転用された。映画「ひろしま」のテーマ音楽に、あるいは「ゴジラ」で放射能の惨禍を表す場面の音楽になった。

 広島県出身でもない私が、仕事の縁、人の縁で、ポポロの愛称を持つ、三原の芸術文化センターの館長になったとき、思った。映画音楽に化け、オリジナルのかたちでは忘れ去られて73年もたった幻の楽章を、この地に蘇(よみがえ)らせたい。

 昨年10月3日、絶えて久しかった曲は、豊嶋泰嗣さんの独奏、下野竜也さん指揮する広島交響楽団によって、ポポロで復活した。

 およそすべての芸術は、風土や歴史や記憶や情念と結びついて存在する。その土地にどんな音楽がフィットするのか、しないのか。ひたすら悩んでゆきたい。(政治学者、三原・ポポロ館長=茨城県)=おわり

(2022年1月15日朝刊掲載)

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