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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <9> 地方官会議 

立憲制の基礎 民権派は期待

 台湾出兵の事後処理を北京で終えた大久保利通は内政でも困難に直面する。板垣退助らの民撰(みんせん)議院設立運動が盛り上がり、一方では不平士族の政府批判にもさらされた。長州閥の木戸孝允(たかよし)を復帰させて政権を安定させる必要に迫られる。

 大久保は明治8(1875)年初め、木戸や板垣と大阪で会議を重ね、立憲政体を漸進的につくることで合意する。木戸と板垣が参議に復帰し、4月に立憲政体の詔が発せられた。五箇条御誓文の意を拡充して元老院、大審院、地方官会議を設け、漸次に立憲政体を樹立する、との天皇の公約である。

 台湾出兵で延期されていた地方官会議は民情をつかんで施政に生かす下院的な位置づけ。立憲制の基礎づくりとして民権派は期待した。小田県(広島県東部と岡山県西部)で学習結社の蛙鳴群(あめいぐん)を結成し、新聞投書を通じて政治課題を勉強し合う窪田次郎らも勢いづく。

 地方官会議は木戸を議長に同年6月20日から7月17日まで東京浅草の東本願寺で開かれ、各府知事、県令、参事らが集まった。府県会・大区会など地方民会の議員の選び方が焦点となる。民権派待望の公選制は却下され、木戸の意向通り区戸長を議員に充てることが決まった。

 窪田らが民意反映の手段と見込んだ会議傍聴人も官選となり、官製会議の様相を呈した。失望した窪田が「4月の詔に背く政府の私会」と批判した演説が郵便報知新聞に載る。これに対し、性急な期待を戒める投書を小田県の官選傍聴者が寄せた。窪田に賛同の立場からの反論も載るなど、紙上討論を繰り広げた。

 一方の木戸は会議後、「一芝居やらかして無事済んだ」と知人の手紙に書いた。板垣は急進的な改革を主張して漸進論の木戸と衝突する。大久保は政権の安定が第一で、立憲政体化は時期尚早とみていた。

 政府の不統一に直面し、「都合の良い道具として政権復帰させられた」(井上馨宛ての同年6月の手紙)との後悔が「一芝居」という投げやりな言葉を木戸に吐かせた。翌9(76)年3月に参議を辞す。

 窪田と木戸、2人の失望は次元が違えど立憲政体への道のりはまだ遠いことを示していた。(山城滋)

 元老院 新法の設立、旧法の改正を議定し、諸建白を受納する機関。議長、議官は任命制。

 大審院 民事、刑事の上告を受ける最上級審の裁判所。

(2021年12月4日朝刊掲載)

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