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連載・特集

広島世界平和ミッション 足跡と広がり 被爆60周年 核廃絶 伝えた 論じた 考えた(その1)

 広島国際文化財団(山本信子理事長)主催の「広島世界平和ミッション」は、二〇〇四年三月に南アフリカ共和国、イランへ第一陣を派遣したのを手始めに、これまでに中国、フランス、ロシアなど十カ国へ計四陣、十九人のメンバーを送り出した。各訪問国では原爆被害の実態を伝えるとともに、核抑止力の信奉者らとも議論を重ねた。戦争、テロ、人種差別、放射線被曝(ひばく)による犠牲者とも交流し、逆に現地の実情から多くを学んだ。メンバーはミッション参加後もそれぞれの体験を生かしながら平和への取り組みを継続したり、新たな活動を始めるなど、その波紋は確実に広がっている。南アジアへの派遣など被爆六十周年へと続くさらなる取り組みを前に、四陣までの足跡を写真で振り返ると同時に、数人のメンバーの活動と、ミッションに対する識者の批評を紹介する。(平和ミッション取材班)

第一陣

南アフリカ、イラン(2004年3月25日―4月16日)

和解の心 共有

 ▼メンバー 被爆者 寺本貴司(70)=広島県大野町△薬剤師 津谷静子(49)=広島市東区△広島経済大助教授 藤本義彦(40)=同市西区△広島外語専門学校生 小山顕(25)=同市東区△津田塾大4年 荊尾遥(22)=東京都小平市、広島市安佐北区出身(敬称略)

▼荊尾遥さん

大学祭で討論

 昨年十一月にあった津田塾大の大学祭で、学内外の若者が「それぞれの平和」について意見を交わす公開討論会を企画し、コーディネーターを務めた。全体テーマには「対話」を選んだ。第一陣で訪ねた南アフリカ共和国で、その重要性を実感したからだ。

 アパルトヘイトの傷が残る南アフリカは、保有していた六個の核弾頭を自主的に廃棄した国でもある。「武力に頼ることなく、悲しい対立の歴史を対話と和解の心で乗り越えようと努力する人々の姿が、ヒロシマと重なった」

 世界の非核兵器地帯をテーマに書き進めていた卒論は、いつしか南アフリカが主題になった。「人間の意志によって、核兵器廃絶は実現できる」。現地で実感したことを学術的に補強して論文を提出した今、あらためてそう思う。

 知り合った大学生、研究者らとは現在も、平和教育や核問題について電子メールで意見交換を続ける。「一過性の旅で終わらせたくない。個人のつながりを大切にし、二度と悲劇を繰り返さないために努力し合いたい」

 大学祭などで体験を伝えるだけでなく、ミッションで芽生えた南アの人々とのつながりに、確かな手応えを感じている。

▼津谷静子さん

化学兵器被害者と交流

 昨年十一月末、七カ月ぶりにイランを再訪した。自ら会長を務める市民団体「モーストの会」と、首都テヘランにある「イラン化学兵器被害者支援協会」との交流計画を詰めるのが主な目的だった。

 四月の第一陣訪問を契機に、八月にはイラン・イラク戦争で傷ついた毒ガス被害者ら八人が広島市を訪れ、平和記念式典に参列した。十一月には南区の市留学生会館で、イランの子どもたちが描いた「平和の絵」約百点の展示会も開催した。

 津谷さんの再訪にイランの関係者は「広島の人たちは言葉だけではなかった」と温かく迎えてくれた。平和式典のことがたびたび話題にのぼったという。「核廃絶や平和を願って世界から多くの人々が集う。その姿に感動し、自分たちの被害も伝えることができたからでしょう」

 今回取り決めた計画では、今年六月に広島から市民訪問団を派遣。メンバーには、旧日本軍の毒ガス工場(竹原市大久野島)の被害者治療に当たった医師の参加も求める。八月にはイランから毒ガス被害者らが再び広島を訪れる予定だ。

 毒ガス被害者は完治する見込みは薄い。「でも被爆者に会うと希望がわくと言っていた」と交流の意義を見いだす。「医療面での共同研究や文化交流を通じて相互理解と信頼を深めたい」と、息長いつながりを目指す。

第二陣

中国、韓国(6月19日―7月8日)

「過去」を礎に

 ▼メンバー 被爆者 福島和男(72)=広島市佐伯区▽翻訳家 井下春子(72)=同市南区▽広島大大学院生 岳迅飛(32)=東広島市、中国内モンゴル自治区フフホト市出身▽東京大3年 森上翔太(21)=東京都杉並区、廿日市市出身▽在韓被爆者 郭貴勲(80)=韓国・城南市(韓国で合流)(敬称略)

▼井下春子さん

被爆者を支援

 「戦禍や平和の問題についても相手がどんな考えなのか、しっかりと知り、通じる言葉を見つけなくては」。第二陣で中国と韓国を巡り、互いの歴史認識を語り合った体験を反すうし、両国に住む被爆者の支援活動に取り組んでいる。

 健在を確認した南京市在住の王大文さん(79)を広島国際文化財団の協力を得て十月に招いた。中国から訪れて広島市で初めて健康管理手当を申請し、認められた元留学生の検査入院から滞在中の暮らしまで心配りした。

 「広島で同じ時代を生きた者同士として話が弾んだ」といい、王さんは「日本の人の真心を知った」と帰国した。国の政治体制や歴史認識を超えて、人間として触れ合い、きずなを深めた。

 その後も、釜山などに住む被爆者の渡日治療を世話したり、元韓国広島総領事の著書の翻訳出版に協力するなど「自分なりにできること」を、相手との交流を楽しみながら続けている。

 「政治的にかみ合わなくても交流はできるし、誤解を解くきっかけにもなる」と肩ひじ張らず話す。ミッション訪中の際に出会った書家を通じ、参加している広島平和美術展に今年は絵画の出品も呼び掛けるつもりだ。

(2005年1月3日朝刊掲載)

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