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連載・特集

広島世界平和ミッション ウクライナ編 未来への模索 <1> 民間転用 学生が原子炉使い実習

 ロシアの旅を終えた広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第四陣は、昨年十月十九日から二十七日までウクライナを訪れた。一九九一年末のソ連崩壊に伴って独立したこの国は、その後ソ連時代に配備されていた核弾頭や核ミサイルを全廃。その経験を基に、国際社会に核兵器廃絶を訴えてきた。一方で、八六年に起きた史上最悪のチェルノブイリ原発事故を体験。今なおその後遺症は人々のうえに重くのしかかる。メンバー四人は、希望と苦悩の中で未来への模索を続ける新生国家の実像に触れた。(文・岡田浩一 写真・野地俊治)

 モスクワから空路約二時間半でウクライナ南部のクリミア半島へ。「黒海を望む七つの丘に栄える町」―二百二十年の歴史を誇るセバストポリ市の名の由来である。ウクライナの旅はこの「軍港の町」から始まった。

 車はブドウ畑をぬって坂道を上る。眼下の入り江にはロシア、ウクライナ両国の軍艦が並ぶ。

 市北部の丘の上に国立原子力大学はある。ソ連時代の名は「高等軍事海洋技術専門学校」。原子力潜水艦の技術将校の九割を、ここの卒業生が占めていた。現在も千二百人の職員の八割は原潜の元乗組員である。

 独立後、原発など原子力産業の人材養成を目的に「民間転用」された。五年制で学生数は四千五百人。

 「学生が稼働中の原子炉を使って実習できる大学は欧州でも珍しい」とセルゲイ・スミルノフ学長(51)は胸を張る。自らも原潜に十年間乗り込んでいた。

 放射線障害などで苦しんだ森下弘さん(74)は「被爆者として、原子力の平和利用にも疑問がある」と話すと、スミルノフさんは「ヒロシマやチェルノブイリのような体験を繰り返してはならないが、平和利用は発展させなければならない」と答えた。原発は「環境によくて」、過去の事故も「原因の大半は人為ミスだ」と力説した。

67年に建造■

 三階建ての原子炉棟は本校舎の裏手にある。原潜搭載と同タイプの小型軽水炉(二百キロワット)は六七年に建造された。学生は原子炉の操縦訓練や放射線医療などの研究に取り組んでいる。

 テロ対策で原子炉棟は軍が管理する。一行は別棟の検問所で身体検査を受けた後、原子炉棟に入る。白衣に着替え体重計の上へ。出る時も量る。核物質の持ち出しを防ぐためだ。

 三階の制御室は意外に簡素だった。制御用の古い計器類の上部にある小さなテレビモニターには、何も映っていない。以前南アフリカで見学した実験炉の方がモニター数が多く、はるかに進んでいる印象だ。

 「これで本当に安全なのか…」。記者が不安を漏らすと、広島大大学院生のアンナ・シピローワさん(28)がいさめるように言った。「私たちに機械の知識はないんだから、印象で判断してはいけない」と。

 本校舎の実習室ものぞいた。退役原潜から積み降ろした制御盤八台が並ぶ。「原理は一緒だから原発の原子炉操作の実習に使っている」。案内役で元原潜乗組員のコンスタンチン・グシン副学長(45)はそう説明した。

粗末な装置■

 見るからに粗末な装置である。シピローワさんの言葉を思い浮かべつつも、「こんな機械で原潜を動かして、よく事故が頻発しないものだ」と危うさを感じずにはいられなかった。

 別れ際、グシンさんに「民間転用をどう思うか」と尋ねた。ひげづらの元原潜技術将校は言葉少なに答えた。「職場を失う寂しさはあったが、今はよかったと思う」

(2005年1月10日朝刊掲載)

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