×

連載・特集

広島世界平和ミッション ウクライナ編-核の現状 廃絶こそ国際貢献の道

 ウクライナはかつて、核大国ソ連の一部として多くの核兵器が配備されていた。このためソ連崩壊に伴う独立後は、一時的に世界第三位の「核保有国」となった。しかし一九九六年にはすべての核兵器体系を手放し、「非核保有国」の道を選んだ。その選択は、人類の未来に明るい希望を与えた。が、一方でウクライナ領土内に建設されたソ連時代のチェルノブイリ原子力発電所は、八六年の炉心溶融事故のため、今も暗い影を投げかけている。広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第四陣一行は、昨年十月十九日から九日間のウクライナ滞在中に二つの側面に接した。核をめぐるこの国の現状を、関係者とのインタビューを交えて報告する。(文・岡田浩一 写真・野地俊治)

非核国への選択

大統領の一言 議会動く

 「核兵器廃絶はわが国の大きな国際貢献だ」。ウラジーミル・ゴルブリン大統領補佐官(65)=国家保障問題担当=はそう言って胸を張った。他の政府高官も市民も核兵器廃絶を「誇り」として、被爆地広島からの訪問者に語った。しかし、その道は決して平たんではなかった。

 ウクライナには一九九一年の独立当時、ソ連時代に配備された、主として米国を狙う大陸間弾道ミサイル(ICBM)百七十六基と核弾頭千二百四十個が残っていた。米ロに次ぐ規模だった。

 ウクライナ最高議会は既に九〇年の「主権宣言」の中で、核兵器を「受け入れない、造らない、入手しない」の非核三原則をうたっていた。

 「核兵器の管理はソ連国防省が握っていた。独立後に核兵器が残れば、ウクライナが国際社会に大きな責任を負うことになるが、国内には管理を保証できる専門家がいなかった」。旧ソ連時代から三十余年、核兵器問題にかかわってきたゴルブリンさんはこう振り返った。

 実際、九三年には一つの核ミサイルに搭載した弾頭温度の異常上昇が判明。九五年には核ミサイルの安全性を裏付ける「保証期間」も、大半が切れることになっていた。

 さらに国際的には、米ロと、ソ連から独立したウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンで結ばれた第一次戦略兵器削減条約(START―1)付属議定書の批准期限が迫っていた。議定書には「核拡散防止条約(NPT)への加盟」などが定められていた。

 しかし、最高議会の一部には「核兵器の廃棄は独立を脅かす」という主張も根強くあった。クチマ大統領は九四年十月、混乱する議会でこう演説した。「核兵器が自宅の隣にあったらどうだ。それでも保有したい者は手を挙げなさい」

 強権政治を批判されながらも、核兵器の危険を強調した大統領の「歴史的」な演説によって、議会が一部留保していた付属議定書の内容を全面的に採択。「わが国は核兵器廃絶への道をまい進することになった」と、ゴルブリンさんは振り返る。

 国内に配備された核弾頭は、九六年六月末までに順次ロシア内の核施設へ運ばれた。核ミサイル基地も二〇〇一年中にすべて破壊され、二度と使えないようになった。

 国内にはなお、核による再武装を主張する政治家が一部にいるという。だが、国中を揺るがせた昨年末の大統領選挙でも、核保有をめぐる再軍備は論点にならなかった。

 ゴルブリンさんは「わが国の核問題への態度の根底には、チェルノブイリの惨禍がある。原子力の正しくない利用が被害を生むことを知っている」と説明。「どのような政治状況になっても近い将来、核軍備する事態にはならない」と力説した。

18年目の「チェルノブイリ」

傷む石棺 浸食進む

 人類史上最悪の原発事故から十八年余。平和ミッション一行が訪れたチェルノブイリ原発はいまだ、極めて危険な状態にあった。

 爆発した4号機を覆う通称「石棺」は、ひび割れから入った雨水で浸食が進む。南側の屋根を支える柱は、年間一ミリ近く傾き続けている。内部に残る放射性物質は「七十四万テラベクレル(二千万キュリー)」といわれる。事故時の大気中への放出量の約四割。屋根が崩落すれば、悪夢を再び引き起こす。

 現在、石棺を覆う「第二の石棺」を建造する計画が進められている。西側二百メートルの空き地に、新石棺を建設。レールでずらして現石棺を覆うというものだ。

 構想では、新石棺は縦百五十メートル、横二百五十メートル、高さ百メートルを超える半円柱形。耐用年数は百年。原発関係者は「現在の石棺を補強して、内部の核物質を抜き取るには十分な期間」と説明する。しかし、核燃料とコンクリートや石が溶け合った二百トンに及ぶ大きな塊を取り除く技術はまだない。

 新石棺の建設と現石棺の補強に十九億ドル(約千九百六十億円)がかかり、日本を含む二十九カ国が資金を提供している。今年中に建設会社を選定。二〇〇六年から建設を始め、一〇年までに完成させるという。

 さらに、事故被災者二百万人の補償は、年間二十億グリブナ(約四百億円)に上る。これだけで国家予算の三十分の一を占めるが、それでも十分な補償はできていない。

 ソ連時代の一九七八年、チェルノブイリの1号機が営業運転を開始した。八六年の事故で5号機、6号機の建設は中断。事故後に運転を再開した1―3号機は二〇〇〇年末までに順次、停止した。

 ウクライナにはチェルノブイリを除き、原発設置地域が四カ所ある。うちフメルニツキとロブノの両原発で昨年、新たに二基が送電を開始。現在国内で計十五基が稼働している。

 核アレルギーはあっても、平和利用を続ける背景には、石油や天然ガスの約70%をロシアに依存している国情がある。国内に配備された核兵器をロシアに移送した際には、かわりにロシアから原発用核燃料として百トンの低濃縮ウランの提供を受けた。

 チェルノブイリの被曝(ひばく)者支援のため、日本の非政府組織の現地派遣員として十年間キエフに住む竹内高明さん(43)はこう指摘する。「エネルギー不足といわれるが、チェルノブイリの原発がすべて停止しても電力不足で困ることはなかった。それでも新たな原発建設を止める意志はみえない」

 今も二カ所で計三基の原発建設が進んでいる。

  
インタビュー

ゲンナジー・ウドべンコ元外相(73)

安全保障の実現に苦心

 ―核兵器廃棄の実現のために、最も重要な要件は何でしたか。
 核保有国からの安全保障を取り付けることだった。米ロ両国は当初、こちらの申し入れに取り合わなかった。粘り強い交渉の結果、一九九四年の欧州安全保障協力機構のブダペスト・サミットで、米英ロ三カ国とそれぞれ、核攻撃をしないことなど安全保障についての覚書を交わした。中仏両国とも秘密裏に会談を重ね、個別の協定を結んだ。

 ―北大西洋条約機構(NATO)の加盟国とも交渉しましたか。
 ポーランド、ハンガリー、チェコのNATO加盟に伴い、核兵器が配備されるのを恐れて、三カ国と話し合った。「ウクライナが核兵器を捨てるのに、隣国に配備されてもよいのか」と問うた。

 ―賛同は得られましたか。
 得ていない。彼らは「自分では決められない」と答えた。われわれは米国と交渉を始めたが、最初はその問題に触れたがらなかった。しかし外交努力で、三カ国には核兵器を将来にわたって配備しないという「国際宣言」を実現できた。

 ―非核保有国の安全保障の確立は、核拡散防止条約(NPT)体制の維持にも欠かせませんね。
 わが国は独自でその安全保障を実現した。それなしには、核兵器廃絶は困難だっただろう。この経験は今後、他国に核兵器廃絶を促す際に生かされると思う。

 ―核兵器を捨てて不安はありませんか。
 日本やドイツのような経済発展が国を守る。核兵器があっても、経済的な力がなければ独立国家としてやっていけない。仮に再軍備しても、核兵器を安全に維持管理する経済力がないのが現状だ。ウクライナは核兵器廃絶国という国際的な地位を手放すことは絶対にない。

 ―黒海の非核兵器地帯化を提案していますね。
 トルコなど他の黒海沿岸諸国の反応は良くない。ウクライナのセバストポリには、ロシアの黒海艦隊が今もあるからだ。わが国とロシアは黒海に核兵器を持ち込まない協定を結んでいる。しかし、ロシアの艦隊基地に核兵器を配備される恐れはある。実際にはチェックできない。米国と日本の関係に似ている。

 ―新たな核開発に取り組む米ロをどう見ますか。
 わが国は米国であれロシアであれ、核軍備の増強には反対している。相手によって態度を使い分けることはない。今後も国際社会で核兵器廃絶を訴えていく。

 <プロフィル>94―98年、ウクライナ外相。ポーランド大使、国連大使などを歴任。98年から最高議会議員として、同議会人権・少数民族・民族間関係問題委員会の委員長を務める。

オレクサンドル・アントロポフ

チェルノブイリ原発常駐大統領スポークスマン(46)

原子力の平和利用続ける

 ―チェルノブイリ原発で取り組んでいる主な仕事は。
 運転を停止した1―3号機の廃炉作業を進めている。原発周辺に使用済み核燃料の貯蔵所、液体廃棄物処理施設、固体放射性廃棄物貯蔵所を、欧州各国の企業が請け負って建設している。完成までにあと数年かかる。こうした施設整備が終了次第、原子炉に残っている核燃料を取り出す作業を始める。

 ―職員数は何人ですか。
 3号機停止前は約一万人が働いていた。現在は三千八百人。人員削減に伴って、高い技術力を持った職員の新たな職場の確保が課題だ。

 ―事故が起きた4号機を覆う石棺に傷みが目立ちます。
 補強を重ねている。今すぐに崩壊する危険性は1%だが、現状のままだと十年先の保証はない。石棺内部には放射線レベルが高くて、作業員が秒単位でしかいられない部分もある。新しい石棺で覆ったうえで、内部に取り付けたクレーンを遠隔操作し、不安定な構造物を取り除く。そうした作業によって、百年先まで安全に守られることを願っている。

 ―事故による周辺への影響はなお深刻ですか。
 汚染地域の中には、いまだに牛乳に含まれる放射能量が許容値を超えている場所もある。住民や事故の後始末に従事した作業員には、甲状腺の異常、腫瘍(しゅよう)、自律神経失調症などの「後遺症」が増えている。補償のための膨大な資金を払いきれる国はどこにもないだろう。

 ―これほど大きな被害を受けながら、ウクライナはなぜ原子力の平和利用に積極的なのですか。
 国のエネルギー需要を石油や天然ガスに頼りきるのは危険だ。原子力に代わる有力なエネルギー源は残念ながらない。広島・長崎の惨禍を経験した日本でも平和利用は続けられている。

 <プロフィル>80年からチェルノブイリ原発で、原子炉運転主任技師や副所長などを歴任。01年にスポークスマンに任命された。

ウクライナの核年表

1977年 8月 チェルノブイリ原発1号機(80万キロワッ
         ト)が臨界
  78年 5月 同1号機が営業運転開始
  86年 4月 チェルノブイリ原発4号機が炉心溶融を起こし
         爆発
  86年10月 1号機が再稼働。87年12月にかけて2、3
         号機が順次再稼働
  90年 7月 「国家主権宣言」で非核三原則の順守を表明
  91年10月 チェルノブイリ原発2号機のタービン室で火災
         が発生して運転停止
  91年12月 ソ連の崩壊でウクライナが独立
  92年 5月 第一次戦略兵器削減条約付属議定書に調印▽戦
         術核兵器のロシア移送完了
  94年11月 核拡散防止条約(NPT)に批准
  96年 6月 戦略核兵器のロシア移送完了
  96年11月 世界の主要国(G7)との協定により、チェル
         ノブイリ原発1号機を運転停止
  97年 4月 G7がチェルノブイリ原発の石棺安定化と新石
         棺建設を進める石棺実施計画に合意
2000年12月 チェルノブイリ原発3号機が運転停止
  04年 8月 フメルニツキ原発2号機が送電開始
    同10月 ロブノ原発4号機が送電開始

(2005年1月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ