×

連載・特集

広島世界平和ミッション ウクライナ編 未来への模索 <2> 岩山の基地 冷戦の産物 壮大な無駄

 バラクラバの潜水艦基地前でユーリ・ムスタエフさん(60)と落ち合った。基地を造った地下鉄建設会社の元主任技師である。一年半前に基地が一般市民に開放されて以来、ボランティアで基地を案内している。

 ミッション第四陣一行は、トンネル脇の通路の入り口に備えられた懐中電灯を手に入った。コンクリートで固めた通路は高さ、幅とも三メートル弱。中央に武器や弾薬をトロッコで運ぶためのレールが敷設されている個所もある。

 壁際に点々と並ぶ電灯を頼りに進む。通路は湾曲していた。「外で爆発があった場合に、爆風が駆け抜けるのを防ぐためだよ」とムスタエフさん。かび臭い空気が一面に漂った。

 行く手がすぐ二つに分かれた。右側はヨットの残骸(ざんがい)が横たわり、ふさいでいた。当時から基地の維持管理に携わっていたムスタエフさんは「右側は武器庫。ソ連時代は核兵器もあったはずだ」と打ち明ける。

 さらに百メートル近く奥に進むと、広い空間に出た。床から天井まで十二メートルもある「修理ドック」である。潜水艦は入り江からトンネルを抜けて、このドックへ入る。台座に固定した後、海水を抜き、武器や物資の補給、修理をした。

SFの世界■

 ドックからさらに奥へとトンネルは続く。総延長五百五メートル。入り江の反対側の出入り口は黒海に面している。中型潜水艦七隻を同時に収容できた。

 非常時には民間人も受け入れる核シェルターに利用するはずだった。軍関係者と合わせて三千五百人が、三十日間生活できる想定だ。基地内にはパン工場まであった。

 利用されていた当時、内部はとても明るかったという。「基地に潜水艦を乗り入れた水兵たちは、まるでおとぎの国やSF小説の世界に入り込んだように見とれたもんさ」と、ムスタエフさんは懐かしむ。メンバーたちは「スパイ映画007の主人公が忍び込む秘密基地みたいだ」と現実離れした光景に息をのんだ。

 ムスタエフさんは「基地建設には、広島・長崎への原爆投下が深くかかわっていた」と説明する。投下から約二年後、核攻撃の脅威を感じていたスターリン首相が基地建設を指示。一九五五年からモスクワなどで地下鉄建設に携わった業者を招集して工事を始めた。完成は六三年。八年がかりの大工事だった。

 やがて原子力潜水艦の登場など潜水艦の大型化に伴って、基地が手狭になってきた。米ソ冷戦も終結し、基地は閉鎖された。現在はウクライナ軍管轄の海洋軍事博物館として再整備が進み、希望者に公開している。

 ムスタエフさんは「冷戦時にはシェルターとしても使われる可能性を本気で感じていた」と振り返る。

安心と憂い■

 壮大なスケールに驚く被爆者の森下弘さん(74)は、核軍拡競争が続いた冷戦時代を「本当に無駄な時代だった」とため息をつき、やりきれなさそうに言葉を継いだ。「この基地が用済みになったことにはほっとするが、まだ世界には巨大な核兵器関連施設がある。それを思うと…」

 ムスタエフさんは、案内の最後にメンバー一人ひとりと握手を交わして言った。「ウクライナではもうシェルターを造ることはない。これから世界の人々は、銃の照準を通してではなく、開かれた目で互いを見つめ合えるようにしていかなければならない」

 冗談を交えた軽妙な口調から一変、一語一語をかみしめるように語るその言葉が強く印象に残った。

(2005年1月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ