×

連載・特集

広島世界平和ミッション ウクライナ編 未来への模索 <4> 石棺の今 ひび割れ 核の汚染続く

 ミッション第四陣メンバーを乗せたマイクロバスは、チェルノブイリ原発から三十キロ圏内の立ち入り禁止区域を走った。沿道には火の始末を呼びかける立て看板がやたら目立つ。

 名古屋に拠点のある非政府組織「チェルノブイリ救援・中部」のキエフ駐在員で、案内役の竹内高明さん(43)が理由を説明してくれた。「消火作業に従事する消防士が被曝(ひばく)するからですよ」

 チェルノブイリ市の入り口にある二つ目の検問所を抜けると、ほどなく煙突やクレーンが見えてきた。一九八六年に起きた4号機事故のあと、建設が中断された5、6号機だった。

警報音響く■

 原発の管理棟に着いた。職員によると、施設周辺は事故後、放射能で汚染された表層の土壌を取り除いて除染した。現在、三千八百人が既に運転を停止した1―3号機の廃炉作業や、炉心溶融事故を起こした4号機を覆う「石棺」の維持管理に当たっているという。

 石棺まで約百五十メートルある展望室の二階に移った。「若い人は私の後ろに立ちなさい」。小畠知恵子さん(52)が、被曝におびえる若手女性メンバー二人に声を掛けた。核被害に詳しい市民活動家でさえ、こんな気休めの言葉を口にするほど、石棺は迫ってきた。そびえ立つ灰色の壁面に茶色のさびが幾筋も浮かび、ひび割れやすき間も目立つ。

 原発情報課のユーリア・マルシッチさん(44)が「放射能漏れは完全に遮断できない。広島の方なら現状の深刻さを分かってもらえるでしょう」と英語で力説。現在進められている石棺を覆う「第二の石棺」の建設に触れ、「実現のために各国からの資金援助と技術協力が欠かせない」と訴えた。

 展望室を出て、石棺を見上げた。小畠さんがガンマ線測定器のスイッチを入れると、警報音が激しく鳴り響く。その音に押されるように、メンバーはバスに急いだ。

 原発を離れ、北西へ約四キロ走ってプリピャチ市の中心部へ。原発建設に併せてつくられたこの街には、かつて原発職員や家族ら約五万人が住んでいた。だが、事故発生で住民全員が街から脱出。原子力産業で栄えた近代都市は、原発事故でゴーストタウンと化した。訪れる人のないホテルや文化会館が、かすかに往時をしのばせる。

ハプニング■

 午後四時、帰路についた。が、三十キロ圏の境にある検問所でハプニングが起きた。

 非常事態省の職員がベータ線計測器でバスの車体のあちこちを測ると、右前輪の汚染が見つかった。「汚染地域には今も危険個所が点在している。右前輪で汚染物質を踏んだのだろう」。職員はそう言って、約二十キロ離れたチェルノブイリ市入り口の検問所へ引き返し、車を洗うように命じた。

 除染作業は野原の真ん中に立つ車修理工場のような建物内で行われた。バスを乗り入れると、非常事態省の職員がホースで、温水を激しくタイヤや周辺に吹きかけた。

 キエフへ向かう車内でメンバーは、放射線被曝による人体への影響を口々に話し不安を表した。いつもは柔和な被爆者で、元高校教員の森下弘さん(74)が、そんな彼らに毅然(きぜん)と言った。「これぐらいなら大丈夫だ」。「先生」の言葉に、車内に安堵(あんど)感が広がった。

 小畠さんは「ハプニングを経験して、核被害は十年、二十年では解決できないことを肌身で感じた」と話し、自らに言い聞かせるように続けた。「放射線は見えない。無防備な市民が身を守るために、もっと知識を身につけないと…」

(2005年1月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ