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連載・特集

広島世界平和ミッション 第五陣の横顔 <1> 岡田恵美子さん(68) 広島市東区中山鏡が丘

耳を傾け対話深める

 広島国際文化財団が派遣する「広島世界平和ミッション」の第五陣は二十四日から約三週間、インド、パキスタンを巡る。核拡散防止条約(NPT)に加盟せず、多くの国民が自国の核保有を肯定する両国での活動を前に、参加メンバー五人の横顔と思いを紹介する。

 週一回、原爆資料館の案内ボランティアに立つ。海外からの訪問者の中には印パ両国からの旅行者もいる。核保有を指摘すると、彼らは誇らしげに自国の保有を語る。

 両国の人々との交流を通じて、一つの思いを抱くようになった。「核兵器を持つことで彼らが得る安心感の裏には、きっと持たなくてはと思わせる恐怖や不安、憎しみがあるに違いない」と。

 現地では、声高に核兵器廃絶を訴えるより「相手の話にまず耳を傾け、彼らの不安や憎しみを取り除けるような人間同士の対話に努めたい」と、自らに言い聞かせる。

 八歳の時、爆心地から二・八キロの自宅庭先で被爆。爆撃機に向かって手を振っていた三歳の弟は大やけどを負った。学徒動員で爆心地付近の建物疎開に出かけた十二歳の姉はいまだに遺骨さえ見つからない。両親は姉の死を認めないまま、戦後十年余りで相次いで亡くなった。

 被爆後も続いた悲しみと労苦…。そんな体験を胸に「人間として、いかなる理由があっても核兵器の保有や使用に正当な理由はないことを訴えたい」と決意をにじませる。

 「広島・長崎世界平和巡礼」(一九六四年)の提唱者である故バーバラ・レイノルズさんが、平和と核兵器廃絶を願う「ヒロシマの心」を世界に伝える窓口として、巡礼の翌年に創設したワールド・フレンドシップ・センター(広島市西区)の理事も務める。

 八七年、同センターの平和使節として米国を訪問した時、バーバラさんから掛けられた言葉が忘れられない。「人間が人間として相座して出会うチャンスがなければ、本当の意味での世界平和はないのよ」

 彼女の行動力に触発された。その後は、地雷除去のための署名を集めたり、少数民族支援をしたり、ブッシュ米大統領に広島訪問を促す手紙を書いたりと、できることから行動に移してきた。

 「人間の想像を絶する被爆の惨状や平和の願いを伝えるのは本当に難しい。でも、生き残った者として犠牲者に代わってやり抜かないと」

 今回の旅を、被爆六十年から未来に向けた行動のスタートと位置づけている。

(2005年1月15日朝刊掲載)

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