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連載・特集

広島世界平和ミッション 第五陣の横顔 <2> 渡部朋子さん(51) 広島市安佐南区緑井

海外活動 経験生かす

 幾つもの顔を持つ。広島市教育委員、骨髄バンクの支援ボランティア、大学の非常勤講師…。

 会議、イベント、英語レッスン、家事と一日中駆け回る。「またお昼を食べれんかった」。チョコレートを口にして、こう続けた。「ただ優先順位のトップは命にかかわる活動なんよ」

 中でも代表を務める「アジアの友と手をつなぐ広島市民の会」に多くの時間とエネルギーを割く。一九八九年に設立以来、留学生の支援や海外の個人、平和団体とのつながりを深める。

 英語名を略した会の通称はアリを意味する「ANT」。仲間と「大地をはい回る活動がしたい」との願いがこもる。二〇〇二年末、パキスタン北西部にあるアフガン難民キャンプを訪れたのも、その延長にあった。

 「見捨てられた地じゃった」と振り返る。医師がいないため、女性は自力で出産する。「へその緒を切るかみそりが欲しい」と言われた。男性は職がなく、兵士になるしか道がない。「広島は世界から見捨てられなかったから、こんにちがあると思う。その恩返しをしたい」と支援を決めた。

 昨年三月に再訪。医療面のニーズを知るための調査をした。今は病気や妊娠初期の診察ができる小さな医療施設の建設準備を進める。

 平和ミッションではインドも訪ねる。南アジアで最も影響力のある大国である。「インドの人たちには核戦争の恐ろしさを伝えるとともに、平和のために一緒に何ができるかを考えたい」

 広島市中区生まれ。看護学生だった母は、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)で被爆。幼いころ、毎年八月六日が近づくと母の同僚が集い、結婚差別を受けた女性の経験などをそばで聞いた。

 二十歳のとき、被爆者の祖父が逝った。命のつながりを考えるほど、原爆への関心が高まった。多くの被爆者から体験を聞いた。大学の卒論もヒロシマをテーマにした。

 三人の子育てなどに追われながら、個人でできる平和活動をしてきた。グループをつくっての本格的な取り組みを始めて十五年余がたつ。

 「大河の一滴でもいいから、これからも平和に近づくためにやれることを精いっぱいやる。広島の人々は、いままでもそうしてきたんじゃろうと思う」。今回の旅も「アリンコ魂」で臨む。

(2005年1月17日朝刊掲載)

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